4月28日の午後、永池はゆきと近くの公園を散歩した。
桜の花も咲き、春爛漫のころとなった。暖かくて気持ちの良い日だ。
川面から、風が少し吹いてきた。
木々の小枝が揺れ、1枚の木の葉が舞い降りてくる。
その時何を思ったのか、突然ゆきはゆらゆら揺れる木の葉を目指し、走り出そうとした。
「あっ、ゆき!」
ゆきが木の葉を追いかけ、力強く引っ張ってゆく。
永池は、手にしていたリードを放し、思わずこう叫んだ。
「ゆき、走れ! もっと思いっ切り、走って!」
1枚の木の葉を追いかけ、ゆきは走った。
自分の中にある動物としての本能を呼び覚ますかのように、ただひたすら走りだしたのだ。
走ることで、いままでの自分を振り切るかのように…。
永池には、今目の前でおきている光景が信じられなかった。
少し前まで、閉じ込められたケージの世界がすべてだったゆき。それが、今ではまるで我を忘れたかのように走り回っている。
初めて見せる動物らしい生き生きとした姿。それを見て、永池は叫び続けた。
「ゆき、もっともっと走れ!」
走っているゆきを追いかけながら、永池は懸命に叫んだ。
走って、走って、2人の間にある見えない壁を乗り越えて欲しかった。
壁を突き破って欲しかったのだ。
「ガンバレ、ゆき!」
ひとしきり走り終えたゆきを、永池は優しく抱き上げた。
「よーしっ! よくやった、ゆき! 頑張ったね、ゆき」
ゆきのぬくもりを感じながら、永池は言い知れない感動に浸っていた。
この出来事は、永池に大きな自信をもたらした。それまでゆきと付き合っていても、何となく 「知らんぷり」という感じのゆき独特の態度に少し自信を失いかけていた。
こちらが一生懸命に接しても、どこかスッと身をかわされているような感じがしてならなかった。
どこかに、誰も入れない世界をしっかりと持っているような雰囲気がゆきにはあり、それはセラピードッグとしてはマイナスだと永池は感じていた。
猫のようなつれない素振りを持つ、不思議な犬。そのことは十分理解していたが、毎日トレーニングをする側としてはつらい「仕打ち」であった。
しかし、今日の出来事は、永池に深い喜びを与えた。
ゆきが以前のゆきでなくなった記念すべき一日だと思った。
ケージから外の世界に出されて、初めて自由に走り回れる喜びをゆき自身も感じていた。
大きなハードルを、いまゆきと永池は越えたのだった。
4月28日(29日目)
朝、とってもご機嫌。
ごはんもよく食べるし、便も1日2回出るようになってきた。今日、木の葉を追いかけ、ゆきが走った。
昼間走ったせいか、夜、ゆきの様子がおかしい。
協会に泊まり、ゆきにつきそう。