犬と関わりのある仕事

1月の初めに大学の施設でゆきを初めて見た永池は、「この犬はセラピードッグには向いていない」と思った。

あまりにも、自分の世界を持ちすぎていて、外の世界にはほとんど関心を示さなかったためだ。

しかし、協会では全員一致でゆきを引き取り、セラピードッグとして責任もって訓練していくことを決め、永池も十分納得し、喜んで受け入れに賛成した。

それでも、しばらくの間担当者は未定のままだった。

施設内にリードでつながれているゆきのそばを通るたびに、

「誰がトレーナーになるんだろうね。早く決まると良いね」

と永池は話しかけていた。

日常の仕事に追われ、忙しい日々を過していた永池だが、引き取りにかかわったこともあり、これからのゆきのことが、少し気になるのであった。

永池桐子は、長崎県北高来郡に生まれた。

1982年、彼女が五歳の時、長崎に大規模な災害が発生した。

7月23日、夕方から北九州地方に降り出した雨は、記録的な豪雨となり、中でも長崎地方では一時間の雨量が150ミリ、17時から24時までの7時間には500ミリという記録的な大雨となった。

600年か700年に1度の災害だといわれ、名物の石造りのめがね橋でさえ、あふれ出た川の水に押し流され、橋の形が崩れ、無残な姿をさらけ出したほどだ。

その災害のころのことを、永池は次のように思い出している。

「その時、父の知り合いで自宅が水害に遭って、家が倒壊した人がいました。

それで、その人が飼っていた犬を、復旧するまでという約束で、私の家で預かったことがありました。小さい頃のことなので、はっきりとは覚えておりませんが、その犬は雑種で、毛並みがふわふわした感じでした。

嫌な思い出は少しもないので、好きだったと思います。触ったり、話しかけたり、散歩したりなどとても可愛がっていました。

その後、約束どおり預かっていた犬を知り合いに返したのですが、私が淋しがって、よその家にいる犬の所に遊びにいくのを不憫に思ったのでしょう、母が新しい犬を買ってくれました。

初めて、自分の犬を飼ったので、本当に嬉しかったです」

その後、永池は高校を卒業して、好きな犬と関わりのある仕事がしたいと考えていたが、彼女が住んでいた長崎ではそのような仕事は見つからなかったという。

「当時は、今のように、インターネットが普及していなくて、田舎では情報を得ることが大変難しかったのです。

その頃、姉が大阪で働いていたということもあり、私も上阪し、アルバイトをしながら犬関係の仕事を探していました。

ある日、生活のため求人雑誌を見ていたら、街頭募金スタッフの募集が掲載されていました。

駅前などに立って、レスキュードッグ、セラピードッグ育成・訓練のための街頭募金をお願いする仕事です。この街頭募金活動(注)は、日本レスキュー協会が計画していたものでした」

(注)

1995年に、阪神淡路大震災をきっかけとして日本レスキュー協会が設立された。

しかし、ボランティア活動ということもあり、資金は決して潤沢にあるわけではない。 活動資金捻出のために、レスキュードッグ、セラピードッグ育成の大切さを訴えかけながら、日常的に企業回りをしたり、街頭に立って募金活動をすすめる必要があった。