翌日、今度は休みのためミーティングに参加できなかったトレーナーの永池桐子が犬たちを見に行くことになった。
ミーティングに参加したトレーナーから前日の様子を聞いていたので、永池は「ゆき」を中心に観察する予定にしていた。
施設に着いて、一回り犬たちを観察し、最後に「ゆき」のケージの前に立った。
「この犬か。目がきれいで、おとなしそう」
抱きかかえ、ケージから出した瞬間、ゆきはタッタッタッと走った。マイペースというか、まるで人間がそこにいることに何の気兼ねも、躊躇もない感じだった。
永池は、「普通犬というのは、世話をする人に媚びる」というイメージを持っていたので、ゆきが走っている姿を見て、その天真爛漫さに正直驚いた。
その目はどこか遠くを見ているかのような眼差しをしている。自分だけの世界を持っている犬だなという印象を、永池は強く持った。
「最初は耳が聞こえないのかなと思ったんです。ワンとも言わないので。耳が聞こえていないから、たくさんの犬が吠えている、あんなうるさい所でも平気なのかなと思った。
マイペースなんですよね」
窓のない部屋の中にあるケージだけが自分だけの世界。そうした所で育ったゆきが、こういうおおらかな性格でいられたことを永池は不思議に思った。
自分の世界と人間の世界を意識的に分けていて、あえて接触を持とうとしないのだろうかと感じた。
自分以外の世界に対して、何にも興味を持たない。例え部屋に人が入ってきても、その匂いを嗅ぐということもしない。まったく自分以外の世界には興味がない、という素振りであった。
永池は、この犬はおとなしいけれど、セラピードッグとして訓練するのは厳しいなとふと思った。
何か興味を持つものがないと、訓練はできない。何かに執着する気持ちを犬自身が持っていないとトレーニングは持続しないのではないだろうか。
しかし、この犬はあまりにも自分の世界の中だけで生きているように思えた。セラピードッグに必要な人と親密に関わっていくことが出来るだろうか。
もう一度犬たちをしっかり観察して、佐藤にあいさつをした。
永池は、心の中で、あの犬はセラピードッグとして訓練をしていくには厳しいのではないかと思った。