二〇〇二年の暮れ、関西で活躍する動物愛護団体のメンバーから、O大学の事務局に一本の電話がかかってきた。
「私たちの調査で、現在、全国の大学の動物実験用に飼われている犬のほとんどは、狂犬病のワクチンを投与されていないことが分かった。O大学の場合もそうだが、これは狂犬病予防法違反ではないか」
という指摘だった。
日本では、狂犬病は一九五七年以来発症例がない。しかし、ワクチンの投与だけは義務制になっていて、犬を飼っている人たちは毎年何千円もするワクチン代を支払い続けているのが現実だ。
大学の動物実験施設では、限られた予算の中での施設運営が強いられ、日常的に経費節減が叫ばれていた。「発症もしない」 狂犬病のワクチン代を節約するために、長年投与しないですませていたという事情があった。
一応、フィラリアの予防薬とジステンバーなどの混合ワクチンは研究者の依頼で現場の技術者が投与していたが、これは厳密に言えば獣医師法違反である。実験室の管理者としての立場といえども、獣医師でない限り、予防注射は違法行為になる。
(現在では実験犬として、狂犬病の予防注射がされたビーグル犬を主に使っている。
しかし、当時は予算の関係上、まだ「雑犬」と呼ばれる犬が中心で、その多くは自治体の収容所=動物処分場から譲り受けてくることがほとんどであった。そのため、検疫体制もどうしても厳格ではないという状況にあった)
動物愛護団体の抗議の電話を受けて、急遽大学側は、
「動物実験用の犬といえども狂犬病のワクチンを投与していないのは、狂犬病予防法に違反する。すみやかに調査し、該当の犬は早急に処分せよ」
という通達を動物実験施設に出した。
調査の結果、O大学では自治体の収容所などから譲り受けた犬の内、十二頭がワクチンを投与されないままであったことが分かった。狂犬病予防法に明らかに違反している。 大学側は、やむを得ずその十二頭全犬を殺処分すると決定した。