昨年は甥っ子の初盆だった。今年は義父の初盆を迎える。
毎年、親しい家族を盆に迎えたり、送ったりするのは辛いものだが、この行事がある限り、黄泉に旅立った人を忘れることは無い。
佐藤家の墓は市が管理する公的な墓地に小さな墓石を建てた。子供の頃の貧乏な時におふくろが死んで、墓参りも出来ないのは寂しいので、自分で稼げるようになったら、作ろうと思っていた念願の墓だった。
もう四十年近くになるが、今でも月参りは欠かさず行ってる。二十年程前に相次いで死んだ亡父と継母も入っており、三人仲良くやっているか、おふくろがやきもちを焼いているかどうかはわからない。義父の墓はその横に建てるつもりだったが、色々と制約があったので妻と義母を連れて他を探した。自宅の近くの山腹にある私的な墓地だが、現地に行って即決した。義母が散歩がてらにでも墓参りが可能な場所で、ロケーションも抜群だった。甥っ子の墓も近い。これで墓地のはしごが出来ると喜んだ。
昔は盆になると仏壇に供えた温かい茶を欠かしてはならないと、冷めたら入れ替えていたのを憶えている。線香もローソクも同じだった。就寝前だけ仏さんの許しを得て、一晩中焚けることの出来る巻き線香に変えて、茶は辛抱してもらった。それが三日間続いた。 最後の日に近くの海岸に行ってお供え物一式を流した。「また、来年に帰って来てね」と言いながら流れていくお供えを見ていた。
お盆は死者が帰って来る日だと認識していたので、何故か家族が増えたような気持ちだった。今、そのような行事をしている家はどれくらいあるだろうか?我が家は仏壇も無いし、墓参りだけは行ってるものの、行事として行ったことは無い。盆であっても旅行は行くし、留守にすることも 多い。それに死者を弔うのは年に一度だけでなく、常に心の中に留めていれば良いと思っている。
これは実験動物の慰霊祭でも同じことで、 年に一度、慰霊碑の周囲の草刈を行って、その時だけ真摯な気持ちになるのではなく、常に犠牲になってくれた動物を思うことが供養だと思っている。立派な慰霊碑を建てたからとい言って、それが関係者全員の感謝の気持ちを代弁しているかと言えば、決してそうではないだろうと思う事柄も多い。死んだ者に対して嘆き悲しむよりも、生きている者達への哀れみと感謝の気持ちを忘れてはならない。それが死にたくないのに殺されていく者達への配慮だと思う。終戦で多くの死者が出た日をお盆に指定した意味はこういうところにあるのではないかと常々思っている。