動物実験を行う大学や製薬企業などでは年に一回、動物慰霊祭を行っている所が多い。私の勤務する歯学部でも秋になると関係者を集めて、その行事を行っている。各教室から少しづつお金を集め、公的な行事ではなく、あくまでも自主的な開催である。何故、公式行事とならないのか?というと、国立大学では宗教行事に関することは一切、公的にしてはならないとされているからだ。信教の自由は何人にも守られており、それを例えばキリスト教や仏教の形でも公式に行うとすれば、他宗教の人は嫌が上でも参加を強制されることになる。だから、歯学部では一切の宗教色を拝し、献花のみで行われている。他大学では神式や仏式で行っている所もあると聞くが、参加者の自由意志を尊重して、別に手を合わせなくても良いし、榊や線香を上げなくても良いらしい。
昔、私が医学部にいた頃は、年末に近くの尼寺で行っていたのを覚えているが、多くの関係者が抹香臭い部屋で、数時間も正座し、神妙に頭を垂れていた。最後に全員がお香を炊いて終了し、その後は各講座で、お決まりの忘年会に突入するのがパターンだった。歯学部に異動した平成元年には慰霊碑も無く、焼却施設横の広場に申し訳程度の何処で拾って来たか判らない石ころがひとつだけ転がっている状態だった。関係者に聞くと、何も無いのもおかしいので、一応、慰霊碑の代わりに置いたという事であったが、別に慰霊祭を開催する訳でもなく、草ぼうぼうの片隅にちょこんと置かれている石が哀れであった。動物委員長も代替わりし、ある日、動物委員長に呼ばれた私は「動物慰霊碑も無い学部はうちだけですよ」と言ったら、早速、運動をしてくれて、各講座に協力を求め、事務側も協力してくれたおかげで、黒御影石の立派な慰霊碑が建った。他大学にあるものに比べて、ほんの小さなものであったが、これで毎年、慰霊祭が開催できると喜んだ。私は無宗教なので、本音の部分では年一回の慰霊祭に顔を出すより、本来は暇を見て手を合わせに来て欲しいと思ったが、そういう訳にはいかず、取りあえず、その動物委員長のおかげで現在に至っていることを感謝している。日頃は雨ざらしの中でポツンと建っている慰霊碑であるが、この時ばかりは周囲の雑草を刈り取り、丁寧に清掃され、関係者にかしずかれる日であり、実験動物の犠牲のもとに自分達の研究成果があると認識される日でもある。医学部に在籍していた時は新設動物実験施設の初代施設長の教授と色々相談した挙句、やはり抹香臭いのはやめておこうということになり、施設正面玄関の壁面に動物福祉に関係したモニュメントを配してくれた。その絵を見て入室する研究者や学生はどんな思いで見ているのか判らないが、昔々にアンという女性が築き上げた動物福祉の基本的理念がその壁にこもっているとは誰も気がつかないであろう。