最近、何処の国立大学でも動物実験施設がある所は、人材派遣会社からの出向という名目で動物飼育担当者が多く採用されるようになって来た。それなりのノウハウを持っている会社からの派遣であればそれほど問題は無いのだが、まったく実験動物に無知な人が担当になった場合は大変である。最初からその人に教育を施さなければならないし、せっかく環境にも慣れて、動物とも顔馴染になって、さあ、これからという時期にまた、入札制度でその会社が漏れた場合は毎年同じことを繰り返さなければならない。特に犬の担当者などがコロコロ変わるとストレスの原因ともなり、研究に悪影響を及ぼすことなどまったく考慮されていない現状である。このような入札権限は事務当局が握っており、現場の我々にはどうすることも出来ない。例え、一円でも安いほうに入札させ、経験者であろうと無かろうと、実験動物管理の重要性をまったく知らない派遣会社でも金額だけで決まってしまうのが現実である。これは実験動物だけではなく、動物関連の仕事全般に言えることなのだが、江戸時代から続く差別の原点から来ているのではないかと疑ってしまう。
士農工商の段階的制度があったのは歴史で習って知っているだろうが、本来は農民が最下層の民であったことは言うまでもない。そういった農民の勤労意欲を損ねない為「お前達にはもっと下の者がいる」と、階級意識をくすぐり、とんでもない下層の制度が作られたのである。所謂、エタ、ヒニン制度である。現在ではこの言葉を使うだけでも「差別」と言われるし、漢字変換しても出て来ないが、あえて、同様の歴史を歩んで来た証言者としてここに書く。彼らは同じ日本人であるにも関わらず、農耕で使われる牛馬の死体処理や、囚人の遺体処理をしているというだけで、農民より低い仕事をする者として、「汚い仕事をする民、人にあらず」と蔑まされて来たのである。これらの歴史は、ずっと引き継がれて来て、部落開放同盟の運動ともなったのだが、ここではその問題は本論とはずれてしまうので深く言及しないでおこう。だが、しかし、大学では学長自ら「人の差別はやめよう」と公的に宣伝教育しているにも関わらず、現実には過去から現在までこのようなことが起こっている。
私自身を例にとって言うと、公務員になった当初は現業職員だった。公務員には一般行政職としてのランクに(行一)と(行二)があり大学病院などでは守衛や動物飼育に携わる人は現業職員として位置付けられ、もちろんゴミの集荷から焼却炉の担当者も行二である。その他、自動車運転手やエレベーター操作員(昔は手動式だった)も同じである。同じ行二の間でも、当時は私の仕事は最下層と見られ、守衛にも「近寄るな!臭い」と良く言われたものだ。また、実験犬のエサを近くの市場に貰いに行く際は、大八車に大鍋を積んで行くのが当時の光景であったが、その飼育員は事務官に指を指されて、笑われていたのも憶えている。心に傷を負った者同士がいたわり合うことも無く、自分のほうがましだと思いながら、相手を馬鹿にすることも多かったが、その矛先が言い返すことも出来ない実験動物に行くこともあった。到底、文章には出来ない悲惨な現場を随分経験したが、差別が生んだ知られざる悲しい歴史のひとこまである。
現在は公務員の総定員法というものが出来て以来、やはり、一番弱い立場の者から減らして行く傾向で、行二の職員は殆ど居なくなり、定年で辞めたら一切補充はなしで、人材派遣業からの社員がそれに代わって来ている。実験動物の現場もこの波をもろに被り、各大学の施設では正式職員よりも派遣社員のほうが圧倒的に多い所もある。こういう環境で、「実験動物福祉に立脚した飼育環境を作りましょう」と言っても、到底、無理な話である。彼らは雇用条件にそんなことは書かれていないし、日常業務をこなすことで精一杯なのだから。市民からの情報公開制度が確立する中で、実験動物に関しては一向に進展せず、昔ながらの考え方のもとで、未だに動物担当者は安くて交換容易な者で良いと思われているとすれば、何の為に動管法を改正してまで、動物福祉思想の啓蒙を政府が進めて来たのかわからない。別に人材派遣業社員が悪いわけではないが、せめて、公的な資格ではないものの、最低限、(実験動物技術師)の資格を持っている者を雇うとか、会社での教育を充分に終えた者を派遣するとかの配慮が欲しい。実験動物と言えど、命を預かる仕事として、誇りを持ち、倫理的な配慮ができる体制が出来ない限り、江戸時代から続く「差別意識」がいまだに残っていると思われても仕方が無いだろう。掛け声だけで「大学での差別をなくしましょう」と全国の学長や総長が叫んでも「動物に関わる仕事に高給は払えない、専門家はいらない」と思っている事務当局の考え方が変わらない限り、馬の耳に念仏くらいにしか聞こえてこないだろう。益々、「福祉は遠くになりにけり」である。