22:  アンの遺志を受けついで

つらいお話ですが、私たちが実験を終えたあと、ほとんどの犬は処分されているのが現状です。

ただ、過去に1頭だけ例外がありました。この犬は日本レスキュー協会という団体にもらわれて行き現在も元気に暮らしています。

日本レスキュー協会は、災害時に壊れた家やビルの中に入っていって閉じ込められた人たちを救助する犬(レスキュードッグ)を訓練しているNPOです。1995年に起きた阪神淡路大震災の時に大活躍し、テレビや新聞などを通じて一躍注目を浴びたのをご存知の方も多い事でしょう。

この団体と親しくなったのは、私が講演依頼を受けたのがきっかけでした。

その犬は大学の施設内で生まれ、実験犬として簡単な実験処置をされただけで、2年間という長い時間を狭いケージの中だけで暮らしておりました。

特に体に障害があるわけでもなく、非常に素直で賢い犬だったのでこのまま処分するには忍びなく、どこか引き取り先がないかと悩んでいたところでした。私は思い切ってレスキュー協会に相談することにしました。

協会のトレーナーの方に犬の様子を見ていただく為、何度か大学の施設を訪ねていただきました。

この団体は、レスキュードッグ以外にも、セラピードッグの訓練をしているのでも有名です。犬と一緒にいると人が癒されるということで、訓練された犬を老人福祉施設などに譲渡する活動をしています。

トレーナーの方の意見では、この犬のおとなしい性格のことを考えれば、セラピードッグとして十分通用するので、協会が引き取った上で訓練していただける事となりました。協会側も実験犬を引き取るということは初めての経験なので、当初申し出に戸惑ったそうですが、私からのたっての願いと言うことで聞き入れていただくことになりました。

もちろん、実験犬というのは最終的には処分される運命にありましたので、他の団体に譲り渡すということは数年前なら到底考えられなかったことでした。

予定された作業がすめば、実験犬はもう「使い物に「ならない」という考え方があります。しかし、これは間違っていると私はかねてより考えていました。

一頭ぐらい助けてどうなるという思いも一瞬よぎりましたが、今回のことがきっかけとなり誤った常識をくつがえして、より多くの犬が助かる機会になればと願っております。

こうして、この犬は無事にレスキュードッグ協会に引き取られることになり、「ゆきちゃん」という名前をつけてもらって、トレーナーの元で一生懸命訓練に励みました。

トレーナーの方からの報告では、初めはまったく人にも物にも興味を示さなかったとのことです。この世に生まれて以来、外の世界に出たこともなかったせいなのでしょう。

セラピードッグの訓練を受けながら、たくさんの人とのふれあいの中で、ゆきちゃんはゆっくりと心を開いていきました。

てんかん発作の症状が時々出てトレーナーの人たちを慌てさせたりしながらも、次第に本来の性格の明るさや、人懐っこさを見せてもいるようです。

昨年の10月、ゆきちゃんは、大阪市内にある特別養護老人ホームでセラピー犬としての新しい生活をスタートさせました。

今、施設内をいそがしく動き回り、お年寄りのお世話をし、皆から可愛がられながら第二の生活を送っています。人のぬくもりに囲まれながらの充実した毎日だとのことです。

一般の方々には見ることのできない、動物実験の現場で処分されて行く名前のない数多くの犬達。しかし、その中からたった一頭といえども、狭いケージの中から解き放たれ、私たちを癒し共に生活するゆきちゃん。

ここにこそ、動物福祉が目指すべき新しい可能性があると私は信じております。

ゆきちゃんのことが良い前例となり、新しい実験動物への福祉の道を拓くことが出来ればと願っております。

アンは処分される犬達に慈悲の手を最後まで差し伸べ続けました。そして私たちは数多くの犬達から心を癒されています。

本文で述べましたが、イギリスにあるアンの墓碑はカタカナで記されています。

おそらく彼女は日本にもう一度戻りたかった、そして私たちに動物たちとの接し方をもっと伝えたかったのではないかと思っています。

私はアンの遺志を大切な贈り物としてこれからも歩んでいきたいと考えております。