94. 「寒天談義」

寒天(トコロテン)は私の大好物である。特に暑い夏場に良く冷えた咽喉越しの良い 寒天は最高の食べ物であると思っている。

寒天の原料は海藻であるテングサから作られる。 釣りに行くと良くこのテングサが海流によって岸辺に打ち上げられている。これを持ち帰って水洗いしてから、天日で白く脱色されるまで干して、適当な大きさに切ってから鍋で煮るだけである。これを弁当箱のようなものに入れて冷蔵庫で固めると完成である。

自然の寒天は多少、色がついているが海の香りがほのかに漂い、自然食満点の食べ物である。

ところが、この寒天も所変わればとんでもない味になることが過去の経験で身に沁みた。京都鞍馬山のふもとにある茶店風の前を通りかかった時、風にたなびく一枚の幟が見えた。

「ところてんあります」と書いてある。季節は真夏、京都盆地の暑さの中で、心身ともにへばっていた私はすぐに店に飛び込んだ。店の中の座敷には赤い毛氈が敷いてあり、どうも、そこで座って食べるようだ。

「トコロテン下さい」と言って間もなく、涼しげな器に入ったトコロテンが運ばれて来た。そして、何の疑いも無く口に入れた。思わず吐き出しそうになった。頭の中は???マークだらけである。

そう、酸っぱいトコロテンだったのである。黒蜜のかかった甘いトコロテンしか食べたことのない私にとっては、それは脅威の味だったのである。<酸っぱいイコール腐ってる>の公式に当てはまる食べ物として、すぐさま店の人を呼んだ。そして、言った。「これ、変な味してるよ、とても酸っぱいし、腐ってない?」店の人は怪訝な顔をしながら次のように言った。「三杯酢をかけてるので酸っぱいの当たり前ですよ、うちは腐ったものなんか出しません」私はさらに言った「でも、トコロテンて黒蜜でしょう?」店の人は優しく言った。「お客さん、どこから来られたか知りませんが、京都のこの辺りは全部三杯酢で食べるのが常識ですよ」妙に納得したが、それからは京都ではトコロテンは注文しないようになった。食文化の違いとは恐ろしいものである。