93.「フナ寿司談義」

実験動物仲間の一人であった京都大学の知人が定年を迎えるという事で、滋賀県は琵琶湖の北岸と接している余呉湖湖畔にあるフナ寿司専門の料理旅館でお祝いの会を開いた時。

大勢の参加者とともに私も末席に名を連ねた。この旅館は歴史も古く、合戦時代の甲冑や槍などが飾られ、創業300年以上という触れ込みはまんざら嘘でもなさそうな雰囲気の建物だった。琵琶湖の有名さにかき消されたような余呉湖の美しい景色にその古風な旅館は似合っていた。

タクシーから下りて、門から続く石畳を経て玄関に着くと、女将がすぐに部屋に案内してくれた。座敷にはすでに数名の仲間が座っており、久し振りの挨拶を済ませて、適当な場所に座った。

各人の前にはお膳が並び、山中にもかかわらず、新鮮な刺身や蟹が盛られていた。その中でひとつだけ、蓋がされた立派な器が置かれてあった。

全員が揃ったところで幹事のT先生の司会で宴が始まり、乾杯の後に目の前のご馳走に箸を付けていった。そして蓋のある器を開けた途端、異様な臭気が襲って来て、 「一体なんじゃ!」と思ったのである。

良く見ると魚の形をしており、腹の部分には卵らしいものも見える。私と同様の反応者も多く、慌てて蓋を戻した人もいた。

T先生いわく「これがかの有名なフナ寿司じゃ、酒好きにはたまらんぞー」

話には聞いていたが、私には想像を絶する臭さだった。フナ寿司は郷土料理として昔は各家庭でも作っていたが、原料となるニゴロブナが激減し、今ではこのような老舗の旅館でないと本物は食べることが出来ないらしい。土産店でも売っているが一匹8 千円から一万以上するものでないと本物とは呼べないとも聞いたことがある。

産卵前の腹がパンパンになっているニゴロブナを米麹と一緒に大きな甕に入れて、何年も寝かして作るらしいが、温度や湿度の調整が大変難しく、伝統製法として一子相伝なので技法を盗むことは出来ないそうだ。

T先生が「佐藤君、食べないのか?」と聞いたので「遠慮します」と答えたら「この罰当たりめ、それじゃ僕が食べる」と笑いながら私の皿を受け取ると「私のもどうぞ」と続々と参加者からお皿が届き始めた。

T先生のお膳はフナ寿司だらけで、さすがに全部を食べることは出来ないので「女将、帰るときにこれを包んでくれ!」と言うと全員が爆笑した。魚では匂いがきつく、癖があるものとして、関東のクサヤ、和歌山のなれ寿司があるが、この両者は元々海の魚なので、私も何とか咽喉が通るが、さすがにフナ寿司だけは口元にも持って行けなかった。フナ寿司ファンの皆様、ごめんなさい。 次回は京都のトコロテンについて書きます。