秋になると各小学校では運動会が始まる。色々な種目がある中で、大勢の人が一同に参加出来るのが綱引きである。紅白に分かれておおよその人数配分をして、掛け声とともに引っ張り合う。力が拮抗している時はなかなか勝負が決まらないが、非力な人が多いチームはあっさりと負けてしまう。
これと同じことが動物実験のあり方に関しても言える。反対=賛成の両者が綱引きをしていると思えばよい。そして、真中で「赤勝て!白勝て!」と叫んでいる人もいる。それぞれの思惑があって、応援している人も、何とか自軍が勝って欲しいと願っている。
これは英国で始められた動物福祉運動が世界に広がったように、歴史的な違いはあれど、各国で行われている綱引きだ。日本でも「新渡戸稲造氏」が人道会を率いて動物福祉の旗揚げを行ったのが最初であるが、その後、様々な経緯で現在に至っている。
ところが、目的は同じでも、各組織のやり方によって、過激な団体と見られたり、穏やかな団体と見られたり、決して一枚岩とは言えない雰囲気を持っていることも確かだ。
一方、動物実験推進論者である研究者側も一部の学会や協会が危機感を募らせ、必死に運動しているのにも関わらず、大半の学会ではそのようなことは議題にも上がらない。恐らく「ヒトの命」の研究をしているという安心感から、そうさせているに違いないが、動物福祉先進国である米国や英国に留学して帰国しても現在の環境に甘んじ、あるいは諦めている感がある。
このように、どちらも非力なメンバーが拮抗している状況ではいつまで経っても綱はぴくりとも動かないが、どちらかに強力なメンバーが入ったとしたらどうだろうか?たちまち、バランスは崩れ、国民の後押しとともに押し流されてしまうだろう。
極端なことを言えば数十年前のように、安けりゃ何でも良いと無尽蔵に動物を使う 時代に戻るかも知れないし、反対に一切の動物実験は廃止されるかも知れない。現代社会は「法律」とともに動いている。どんな偉い人も偉くない人も等しく、法の平等の元に保護されているのが現状だ。そして、この法律を認可するのは国民であり、それを執行し、守るのも国民である。
多数決の基本原理からすると、一旦決まってし まったものはそれを覆すのにより多くの賛同者を必要とする。もし、どちらの側にとっても「悪法」と呼ばれるものが通ってしまったとしても、それに従うのが国民の義務である。
来年から動物愛護に関する法律の大幅な改正?があると聞く。それが反対者にとっても賛成者にとっても満足な内容かどうかはわからないけれど、せめて、これまで以上に無駄な命を奪うことのないような法律であって欲しい。命の綱引きは運動会で充分である。