81. 「題材」

エッセイの題材を考えていると、時々、素晴らしい題材が浮かぶ時がある。ところが、メモをしなくて一日経つと、それがどんなものだったか、完全に忘れている。

思い出そうとしても、一向に出てこない。カラオケに行っても、自分の好きな歌手のジャンルや曲名が思い出せなくて、つい、手近な曲で誤魔化してしまう。店を出てから「あ!あの歌があった」と思い出すのだが、後の祭りである。

エッセイの題材はあらゆるところに転がっており、作文が苦手という人にいつも、 「そんなに悩むことは無い、例えば道端にある小石でもひとつの文章が書けるよ」と言いながら、イザ、自分が書こうと思えば迷ってしまう。

確かに路傍の石に思いを馳せると、形状や、色、さらに風化の度合いなどによって想像がたくましくなり、この石はこれまでどんな人々に踏まれ、蹴られて来たのだろう? 元々はどこかの岩盤であり、それが崩れたり、川に流されたり、あるいは人為的に爆破され、ダンプなどで運ばれて来た一部なのかも知れないと思う。

また、何年くらい経つとこのような色合いと形になるのだろうか?恐らく、長い年月を経て、人間社会の様々な仕組みを見てきたのだろうな?と、想像はどんどん膨らんでいく。

こんなことを考えていると確かに題材はいくらでもあるように思えるのだが、逆にあり過ぎて迷う場合もある。例えば通勤の行き帰り、仕事や学校に向かう人の歩く速度はどれだけの差があるのかな?月曜日に比べて週末の帰宅する時の歩行速度に違いがあるのか?とか、心理的な側面を含めて自分と対比させて書くのも面白いし、目の前で一心に化粧をしている若い女性に「この人は彼氏の前でも堂々と化粧するのかな?」と思ってみたり、数年前までは公衆電話しかなかったのに、今は携帯電話で誰も彼も時間と場所を選ばず、通信しているのを見て、「こんなに話をすることがあるのかなあ」とも思う。

また、何気なくぶら下がっているつり革の歴史的な考証や形状、天井からの高さの物理学的な位置は誰が考えたのか?とか、満員電車で疲れ果てている乗客の為にバックグランドミュージックなど流すなどのサービスをJRはしないのか?もし、するとすればクラシックかポップスかジャズか、はたまた、演歌が喜ばれるのか?などと果てしなく広がっていく。

これらの題材をひとつのエッセイとして組み立てるのが楽しいのだが、それとて、 起承転結がうまく出来なかったら、途中で書くのを止めてしまうこともある。特に私のエッセイは方向性が決まっていないので、バラバラである。 気が向いた時にたまたま、良い題材が現れたら、あっという間に書けるが、探そうとしたら何も浮かばないし、読んでもらうということを意識した時点で、文章は一字も進まない時もある。短い文章で自分の気持ちを伝えるのは難しいものである。