医学部から歯学部に異動したとき、定年まで二十年を切った。管理室として与えられた部屋は窓もエアコンも無い三畳くらいの小さな部屋だった。元々、暗室として使われていた部屋らしいのだが、医学部在職時の明るい部屋と比べて落差は大きかった。まるで懲役刑を食らった囚人が住む牢屋だと思った。話し相手もいなくて、壁と向き合って机に座っていると気が狂うのではないかと思うことが多かった。
その気持ちを支えてくれたのがアンの思い出だった。彼女は小さな文化住宅に住んでいたが、殆ど職場の実験犬と生活を共にしていたので、毛布を持ち込んで術後の犬達と寝起きをすることが多かった。
当時は劣悪な環境で、エアコンどころか、冬の暖を取ることも夏の猛暑から防ぐ手段もなかった。いくら彼女が綺麗に掃除をしていると言っても床に敷いた毛布の上で寝るのは辛かったと、想像される。
そんなアンに比べたら、私の環境なんて、文句を言える筋合いでもなかった。私の昔を知っている友人が訪ねてきたときはこの部屋を見て、一様に驚くがいつも「懲役20年を食らったのであと4年少しで満期です」と笑いながら誤魔化している。自分で望んで異動した先がたまたま、このような環境だっただけで、昔の自分を忘れることから、大学で生きていく秘訣だということも理解していたが、アンの思い出が無ければとっくに崩壊していたかも知れない。
直接、実験動物にタッチする立場でもなくなったが、ライフワークとしての 「実験動物福祉の延長に人の福祉がある」と教えてくれたアンの考え方は今でも変わらない。講演活動を通じて一般の人々にそれを伝えたり、地区福祉活動のお世話をさせて頂いて、障害者や高齢の方に喜んでもらえるイベントを開催するのも喜びの一つとして実践している。学会や研究会で昔の友人と会っているときが一番、ほっとする時であるが、これは実験動物福祉の重要性を理解してくれた歴史的な歩みから育まれた友情であり、最初は「変な奴だ」と思っていた方も多かったようだ。今では堂々と自己紹介で「動物福祉の佐藤です」と言えるようになったことが唯一の救いである。
定年後にこだわりなく、「佐藤という面白い奴がいた」と 大学内で噂されることが出来れば本望である。