今日、たまたま乗り合わせた列車の先頭車両の窓から見た景色を題材に書いて見ました。人生に疲れた人や未来なんて無いと思っている方に見て欲しいポエムです。
列車に乗って先頭車両の一番前の車窓(運転手がいる所)から外の景色を見てください。ここからは未来が見えるのです。二本のレールと枕木がどんどん迫り、周囲の景色もそれにつられてどんどん、様変わりします。遠くに目をやると山々や海岸線も徐々に色濃くなり、未来から貴方のいる現在に迫って来ます。レールも直線が続いたと思えば大きくカーブを描いたり、上下に盛り上がったりして、床にしっかり足をつけていると思っている貴方を揺らします。次々と変わる景色は飽くことなく、キラキラと輝く子供のような目線は前を向いたままです。時々は列車は停車して、未来の景色も止まったままですが、すぐにまた新しい景色に取って代わります。そのたびに貴方は期待感を持ち、あっという間のわずかな時間と握手をして、そして次の未来の登場に備えます。
時には思わぬ事故の目撃者として貴方が未来の証言者や当事者になることがありますが、非常に稀で大抵は何事も無く通り過ぎていくのが未来です。ほっとする気持ちと少しの期待がないまぜになった寂寥感を経験させてくれるのが車窓の未来です。
やがて終点がやってきて未来との出会いも終焉を迎えます。でも、悲しむことはありません。貴方の目線から消えていった未来たちは後続の貴方達の未来として残っているのですから。
次に現在という貴方は終点の土地で思い出というものを作っていきます。思い出には本当に短いものから長時間に及ぶものもあります。劇的なものから、平凡なものもあります。悲しいものや嬉しいもの、怒り、様々なものがあります。それらの思い出を胸に今度は最後尾の車両に乗って下さい。
この車窓からは「過去」が見えます。来た時と同じ道でも違う道でも過去の景色はまったく違うように見えます。見えている時間は未来よりも長いです。涙をたっぷり流せる時間もあります。それは現在が楽しければ楽しいほど、留まっていた時間が長いほど、過去は悲しいことにも繋がります。
何故、楽しいのに悲しいのか矛盾していると思いますがそれは現在の貴方に次の「未来」がないからです。もしくは、あったとしても過去以上の楽しさは無いだろうという諦めや空虚感から来るものです。年齢から来るもの、経験から来るもの、色々ですが、我々の乗っている列車とは そんな画一的なものだろうか?疲れたら途中下車しても良いし、未来方向から来る 列車に乗り換えても良い。過去に戻る列車に乗り換えても良いし、期待をしながら 現在の列車に乗り続けていても良い。誰も列車に乗ることを止めることは出来ないし、現在が未来、過去の何処に行こうと勝手です。
「希望」という言葉がありますが、これを「未来」と言い換えても同じです。未来にしか希望が無いと思っているからしんどいのであって、過去に戻る努力をすることも未来への挑戦だと考えれば、誰にでも希望はあるのです。