今日、職場の本棚を整理していたらとても貴重な懐かしい手紙のコピーが出て来た。古ぼけて黄ばみ、所々破れていたが、かろうじて文章が読めた。読んでいくうちに涙が溢れて来た。アンが亡くなって最初の母親から届いた手紙の訳文だった。貰った時はアンが亡くなって既に10年が過ぎていた。それから、なお10年過ぎて再び目に触れたのである。 読み終わってやっぱりHPを作ったこと、ロンドンに行ったことは間違いでなかったと思った。大事な手紙なので、エッセイにアップして私の宝物に加えることにした。 そして、ゲストの方と一緒にもう一度泣きたいと思った。
親愛なる佐藤さんへ
私はアン・ロスの母親で御座います。あなたがアンについて書いてくださった日本動物福祉協会、大阪支部会報の1981年7月号を最近、受け取りました。アンについて書いて下さろうと決心なさったこと、また、アンの動物に対する態度や彼女の実験動物の世話の仕方が見習うに価するし、動物の世話の基準の向上に役立つと気付かれ、あの文章を書いてくださったことを心より感謝しております。
悲しいことにアンはあなたが書いて下さったことを知らずに他界しました。あの娘が知りましたら、どんなに喜んだことでしょう。彼女の働いた全ての大学病院の実験動物に携わる人々に理解してもらいたいと努力していたことを、あなたがわかっていてくださったことを知ることが 出来ましたら・・・・・また、犬猫抑留所でも同じく理解してもらえたら・・。
どうか、人道的な方法をアンの為にもお続けくださるよう、お願い致します。アンはもう、この世にはいませんが、あなたご自身のような方が他のケアテーカーの方々にお教えになり、実験動物を等しく、また、あなたのおっしゃるように 例え術後死んでいく動物でも親切に優しく、また出来るだけ苦痛の無いような処置をなさるようにお願い致します。
ロンドン福祉協会の会報「アンの追悼号」のコピーをお送り致します。その中にあなたの記事も載ってます。アンの写真も一枚、お送りします。これはアンが日本に行く前に友達の結婚式の付添い人として撮ったものです。
また、後日アンが眠っている場所の石と墓碑の写真をお送りします。 もしかしたら、佐藤さん、いつの日かイギリスにいらっしゃる機会があるかも知れないし、その時、アンの墓参り成されるかも知れませんものね?
アンは日本に戻って仕事を続けられないことを非常に残念に思っておりました。彼女は日本で仕事をしたいと思ってました。しかし、運命は皮肉なものです。今は思い出しか残ってませんが10年後の今も、あなたがいまだにアンのことを思い起こし、アンの仕事をあなたが引き続きやって下さっていることを思うと、アンが日本に住んで働いたことが決して無駄ではなかったと思います。本当にどうも有難う御座いました。
キャサリン・ロス