68. 「遺書」

人は誰でもいずれは死を迎える。この点では偉い人も偉くない人も、貧乏な人も貧乏でない人も平等である。言ってみれば生を受けたときから死に向かっていると言える。 死の原因は病気もあるし、事故もあるし、自殺も含めて平均寿命を待たずに途中でこの世から去らなければならないこともある。むしろ、老衰で死ぬなんて珍しいかも知れない。

医学部で実験助手をしていた時代には多くの悲しいご遺体と対面した。詳細は避けるが、小さな子供が解剖台の上に横たわっている姿に何度も涙した。動物実験の合間に法医学教室や病理学教室に出入りすることが多く、必然的にこれらのご遺体に触れる機会があったからだが、こればかりは慣れるということが無かった。

また、昨日まで元気だった人が急に入院したということも良く聞く話だ。過日も某有名監督が脳梗塞で入院したと報道されていた。三大成人病といわれる癌、心筋梗塞、脳卒中は死因でもトップを占めている。そういう私も高血圧症という持病を抱えている。

40代前半まで最高血圧が90を割っていた低血圧だったのだが、何故か医学部から歯学部に異動する頃に逆転現象が起こり、薬を飲まない時は200近くまで上がる場合がある。毎年の職員健康診断で担当医師に「歯学部からここへ歩いてくる間に倒れても おかしくありませんよ」と言われている。今は何とか薬で抑えているが、爆弾を抱えていることには変わりはない。

そこで最近はいつ何が起こっても対応出来るように遺書を書いておこうかなと思っている。元気で頭部に異常が無い時に書いておかないとあとで後悔することにもなると思うので、真剣に遺書の中身を考えた。

本来はしかるべき弁護士に託しておくべきなのだろうが、こういう形で公開してしまえば見ている方が承認者なので、後顧の憂いなく、ある意味安心出来る。ネットで流れている以上、多くの方が見ている遺書をまさか他人が改ざんすることも出来ないだろう。といって別に著名人でもないし多くの財産がある訳でもなく、遺言を残すほどのこともなく、「お先に失礼!」と言って旅立つのが理想であるが、うまく瞬時にしてあの世に行ける保証もないので、やはり書いておく必要があるだろう。

そう思っていざ、何か書こうと考えても思い浮かばないのである。せいぜい、私が死ねば家のローンも保険で相殺されるだろうし、もし生活に支障のない程度で財産が残るなら、動物福祉関係に寄付をして欲しいというだけである。それだけでは漠然としているので、実験動物技術者として30年以上一緒に歩んできた 日本実験動物技術者協会に対して行って欲しいと思う。

協会への希望としては一年間に実験動物福祉に対して功績のあった技術者にそれを基金にして毎年、感謝状と記念品をプレゼントして欲しいのである。別の組織として「日本実験動物学会」があるが、これは研究者が主体であるので、私としては現場で働いている技術者に光を当てて欲しいと願っている。選択は難しいが、委員会を設置して是非、実現して欲しい。

家族、特に一人息子に対しては取りあえず、二十歳を迎えるまで私に故障が無かったのでほっとしている。エッセイ「ファミリー」の中でも書いているが、十二年目で恵まれた彼には本当に感謝している。長い人生の中で自殺を考えたことも何度もあったが、そのたびに息子の顔がちらついて実行は出来なかった。苦しみよりも楽しみを与えてくれたのが彼の存在だった。彼には自分の信じた道を歩んで欲しいと思っている。

妻にはそのような息子を産んでくれたこと、仕事も趣味も好き放題のことをしても我慢してくれたこと、真面目な息子よりも放蕩息子のような私について来てくれたことに対して最大の感謝をしている。もし、私のほうが早く行くことになっても悲しむことなく、義母を大事にし、義妹とも仲良くして、息子の行く末を見守って欲しい。

世間のしがらみに捉えられることなく、葬儀はシンプルに。本当は葬儀などしなくて 遺骨の一部を私の第二の故郷である北海道積丹の海に撒くだけでも良いのだが、そうも行かないだろうから、死んだ人間に無駄なお金を使うことだけはやめて欲しい。

そして、このエッセイを見ていただいている方々にはアンの生き様に加えて、日本にもこのような技術者が存在したことを誇りに思って欲しいと考えている。これまでと同じようにカタカナの墓碑を言い伝えて頂ければ幸甚である。

このエッセイが本当の遺書として、機能するのはいつかわからない。それは近日中か数年後か、数十年後になるかも知れない。たぶん、見た人の中には 縁起でもないとお怒りになる方もいらっしゃると思うが、書いている本人自身も わからないことを空想して将来に備えるのはひとつの安心論理だと思って欲しい。