67. 「人獣共通感染症」

人畜共通感染症ともいう、この疾患はこれまでに様々な話題を提供して来た。

感染しても大したことも無い病気から重篤な結果に陥る病気まで、色々なパターンがあることも知られている。病原性微生物による伝染病については パスツールやコッホが世界で最初に手をつけた分野であるが、共通伝染病に関しては比較的新しい分野といえる。WHOの定義では「人と動物の共通伝染病とは脊椎動物との間に自然に移行しうるすべての病気、あるいは感染を指す」ということになっている。感染症にはウィルスをはじめ、細菌、寄生虫などの原因微生物があり、その割合もウィルスが27種類、細菌が20種類、寄生虫が22種類とこの三者で大半を占めている。

また、動物からの感染例ではネズミなどのげっ歯類が33種、犬で27種、猫で21種、牛が26種、豚が25種、鳥で24種、山羊23種、馬13種、狐、こうもりなどで11種となっている。感染経路としては皮膚、口腔粘膜、消化器、呼吸器、結膜、泌尿器生殖器とあらゆる部位が病巣になる危険性を持っている。ウィルス疾患で有名なものは脳炎、オウム病、狂犬病、天然痘、細菌では ペスト、炭疽、ブルセラ、サルモネラ、結核、赤痢、寄生虫では吸虫類、条虫類、線虫類などがあるが、防疫体制が強い先進国ではこのような疾患発生は抑えられている。しかし、後述するように実験動物の世界ではつい最近まで技術者が犠牲になった例もあり、予断は許されないことも確かである。

また、人の持つ結核菌や赤痢菌、感冒ウィルスが動物に感染することも多く、特に霊長類では重篤なケースが見られる。これら伝性病にはコレラ、脳炎、チフス、ペストなどの法定伝染病や百日咳、インフルエンザ、破傷風、狂犬病、マラリア、フィラリアなどの届け出伝染病のほか寄生虫予防法に指定されている上述の寄生虫や家畜伝染病の指定されている炭疽、狂犬病、ブルセラ病、結核、トリコモナスなどが含まれている。と、ここまではお勉強の世界であり、このような説明はネットでいくらでも調べられるのでこれくらいにしておこう。

それでは、実際に実験動物の世界で過去に著者が経験した壮絶な感染症との闘いについて人獣共通感染症とはどんな悲惨な面をもっているか証言したいと思う。

(流行性出血熱勃発)それは突然やって来た。親しい研究者が脂汗を掻いて管理室に倒れこんで来たのである。熱を測ってみたところ、40度近い高熱だった。出勤前から体調が悪かったそうだ。取り合えず、ソファーに寝かせつけてその研究者の上司に電話をした。実はその数ヶ月前から全国規模でおかしな病気が実験施設で流行りつつあるという噂を聞いていたので、夏期休暇を取って情報集めに東北大学に行って帰って来たところだった。貰って来た資料には「韓国型出血熱」となっており、実験用のラットからの感染で高熱、腎不全、点状出血を起こし、ひどい場合は死に至ると書かれてあったのを思い出した。管理室前の掲示板にこのコピーを貼り付け、研究者に注意を喚起していたのだが、ついに最初の患者が発生した。

研究者の血液を採取して微生物研究所に持ち込んだ。結果は最悪でピカピカの陽性 だった。それも抗体価が何百というオーダーで下手をすると命に関わる重篤な結果だった。直ちに入院させ、絶対安静とともに解熱時におけるショック症状の監視、二次感染防御の対処療法などの処置を嵩じた。腎不全に対してもすぐに対応出来るように人工腎臓の準備もしてあった。当の研究者は最悪の場合を考えて遺書も書いていたが、傍で見ていてとても辛かった。そうこうしているうちに、大学内の他学部でも患者が発生し始めて、擬似患者を入れると私の管理区域だけでも十数名が入院加療の処置を撮らなければならなくなった。

他大学も同様で、次々と患者発生の知らせが新聞、テレビで報じられた。そのうちの一人の実験動物技術者が犠牲になった。新聞にはスキーに行って疲れている身体のまま仕事に入ったので過労で弱っているところにウィルスが進入したとか色々書かれてあったが、私は今でも信用していない。ただ、残された小さなご家族が可哀想でならなかった。

大学では動物委員長か病院長が窓口になり、メディアの対応をすることになり、管 理者である私ですらカヤの外に置かれた。何とか当該の研究者も一命は取り留めることが出来、感染者も落ち着いてきたところ、動物委員会でラットの処分をする話が持ち上がった。数千匹いるラットの処分は大変である。当時は飼育部門と実験部門の管理が違っていたので、本来は飼育担当者が処分をするのがリーズナブルであるのだが、何故かこの疾患に関することは佐藤が一番詳しいということになり、満場一致で私にその任が与えられた。

一人の実験助手が手伝ってくれたが、毎日、数百ずつ大型のポリバケツに入れて上からホルマリンで処分するのである。感染経路が不明だし、ラットそのものには感染したからといって何の症状も出ないのだから選択の余地は無かった。それに抗体陽性反応も殆どの個体から確認されたので、処分せざるを得なかった。

一週間ほどかけて、全頭処分を終えたが、その疲れから今度は私が患者になってしまった。この病気が発生してから家に帰ったのが記憶に無いくらいだった。抗体価は陽性陰性のぎりぎりの所だったから一応、擬陽性という診断が下り、即刻入院処置が取られた。熱は41度もあった。口腔内粘膜からの点状出血も見られたが、本人は至って冷静のつもりだった。結局は三週間も入院させられ、その間は自宅にも「新聞で騒がれている病気だから見舞いには来るな!」と電話をしていた。時々様子を見に来る看護婦(当時の呼び名)も主治医もマスクを何重にもかけ、手洗いをしながら入退室していた。この時は特等患者扱いで、立派な病室に動物委員長も病院長も良く見舞いに来てくれたし、私には似合わない立派なランの花が部屋に飾られていた。亡くなった技術者のように私も同じ運命をたどっていたら、大学もどういう処置を取っただろうな?と意地悪な考えも今は笑いながら言えるが、当時は関係者にとって本当に戦争状態だったのだ。

 結局、本感染病の終結宣言が出るまでは数年もかかったが、おかげで人獣共通感染 症についても勉強をしたし、この病気も元は極めてきな臭い出所であることもわかった。詳しいことは避けるが、朝鮮動乱の時にこの感染が兵隊の間に広がり、多くの犠牲者が出ている。38度ラインの草原に多く住むアポデムスという野鼠に当ウィルスが広範囲に蔓延し、直接、間接的に野鼠と関わりを持った兵士がバタバタと倒れていった。一説には細菌兵器がばら撒かれたとの話もあるが、真意はさだかでない。エイズと同じように対処療法しかなく、根絶することは不可能に近いウィルスである。どういう経緯で日本に上陸したのかわからないが、「梅田熱」として、大阪に大流行した経緯を調べると、やはり犠牲者も出ていた。遺体からウィルスを発見して同定した最初の開業医は何故か学会から相手にされず、韓国型出血熱や流行性出血熱、腎しょう紅熱など、名前を転々と変えながらこの「不明熱」は、現在も地下に眠っているらしい。

この話は医学部在職時代の思い出であるが、別のエッセイ にも書いてある通り、現在の学部でも危機一髪という経験もした。だが、根本的に違うのはこの病気が「たかが5%の死亡率」と考えるか「5%もの高確率」と考えるかの大きな考え方の差が出た時には正直、ショックであった。これはとりもなおさず、命と関係ある学部と関係の無い学部の違いによるものなのか、その辺は定かでないが、こういう考え方の研究者や管理者がいることによって、世間から益々馬鹿にされないかと危惧したのも事実である。

ゆきちゃんやハッピーのように、一方では実験動物福祉に理解を示し、一方では感染事故に理解を示すおかしな大学であるが、そんな中で40年近くも働いて来た私が最もおかしな人物かも知れない。