60. 「I君のこと」

我が家では毎年、正月前には恒例の餅つきを行っている。

御影石で出来た臼と杵で本格的につく年中行事である。

家内と結婚する前から、両家では必ず行っていたので、道具一式は全部揃っている。お客さんが大勢集まり、喜んで裏庭を走り回る愛犬の姿が恒例になっていた。ところが、義父がパーキンソン病で倒れたり、お互い、年を取るとともに、年々、参加者も減り、この行事も体力的に辛くなって来た。義父が元気な頃に作った釜も劣化し、いよいよ年中行事も中止かなと思っていたが、うまいことに息子も成長し、彼の友人が多く来てくれるようになったので、今のところ、何とか続いている。

つきあがった餅は庭で咲いている柚子とともに、ご近所におすそ分けしているが、「ペッタンペッタン」の音が聞こえて来ると、佐藤さんの家から餅が届くと期待してくれている人が多いのも嬉しい。

そんな中で、唯一、この行事に毎年、参加してくれる一人の後輩がいる。

名前はI君としておこう。彼は小学生時代から私の趣味である釣りに付き合って来た男だ。少し智恵遅れで、いつも彼の友人達に馬鹿にされていたが、私は差別せずに可愛い後輩として、普通に付き合って来た。残念ながら、彼の両親とは早くから死別し、祖父母の手で育てられて来たのだが、その祖父母も彼が二十歳になる前に没してしまった。ある小さな事件をきっかけに遠縁の依頼で二十年近くも精神病院に入院中であるが、40歳を超えた今も毎年、我が家の餅つきの時期になると電話が掛かって来る。

早い時期には11月に入ると、「佐藤さん、餅つき呼んでね」と言い、本番の12月末日まで、毎日、それが続く。

「心配せんでも、必ず呼ぶから」と返事をしても一日に数回は同じ内容の電話が掛かって来る。

滅多に外泊許可を貰えないI君にしてみれば、一年で一回だけの楽しみなイベントなのだ。入院施設で作ったと思われる煙草入れや財布を毎回持参して、「これ、使って」と言うので、ありがたく頂戴することにしている。

I君のような男はこちらから言った事は遅いながらも必ず、やり遂げる。

彼が小中学生の時に祖父母が経営していた駄菓子屋兼煙草屋の店番なども、つり銭詐欺や品物の盗難などはあったものの、自分の店にある駄菓子には一切手をつけず、お小遣いで買っていたし、一日中、店先に立っていたのを覚えている。釣りに連れて行った時も、ルールやマナーは後輩の中では彼が一番、守ってくれた。

こんなエピソードがある。ある新聞社主催の釣り大会で、仲間にそそのかされた彼は魚屋で買ったものを提出しようとした。賞品は子供の小遣いで買えるようなものではなく、到底、上位に食い込むためには大物を釣らなくてはその賞品は手に出来なかった。

集合場所で「I君、大物釣れたか?」と聞くと「うん、」と言ったので、見せて貰うと、それはその近辺で釣れるような魚ではなかった。

「本当にこれ、I君が釣ったのか?こんな魚、この辺では釣れんぞ!」と言ったら、正直に「**君が買って来い、絶対、誰にも言うなと言われた」と答えたのである。

当事者を呼んで雷を落としたのはいうまでも無かったが、それ以後、I君は絶対に不正を働くことはしなかった。当時、私が結成した釣りクラブは小中学生がメインでそれぞれが、何かの形で家庭内から疎まれていた連中が多かった。

隠れてタバコやシンナーを吸うし、親も半ば諦めていた連中であったが、釣りというジャンルを通じて、社会的なマナーを覚えさせようと思ったのがきっかけであった。また、彼が中学を卒業して土建屋さんのアルバイトをしていた道路を通りかかったことがある。

一生懸命、ダンプが落としていった土を竹箒で掃いているのである。

私が声をかけると嬉しそうに傍に寄って来て言った。

「親方達はもう、帰ったけど俺はこの土を全部掃除するまで帰られへんね」もう、真っ暗だった。「適当にして帰れよ」と言ったのだが、その後、数時間後にその場所に行くと、まだ、黙々と掃除をしていた。

餅つきでも、「I君、今日の薪割は昨年のものが沢山あるから、しなくて良いよ」と言っても、自分に与えられた仕事だと思うのか、大汗をかきながらもやめようとはしないし、本当に何故、このような真面目な男が何十年も入院処置を取らなければいけないのかと、理不尽な世の中に対して怒りを覚えてしまったことも何度もある。今年もあと僅かで新年を迎える。早速、I君からの電話もあった。餅つきそのものの行事は各家庭で行っていた時代から、今は買う時代になっている。苦労して、ついて、こねて、家族や友人とともに語らいながら、出来たてのお餅をふうふういいながら食べることが出来るのはあと何年出来るか判らないが、I君の唯一の楽しみの為には頑張って続けたいと思う。