6:  来日目的

アンはイギリスの動物福祉協会のメンバーでしたが、日本の動物福祉協会にも登録していて、目的を同じとする両協会は連絡を取り合ってアンの来日を実現させたのでした。

協会からの金銭的な援助はなく、ほとんどアン自身による私費渡航でした。TK大学を皮切りに、TH大学で啓蒙活動をした後、三番目に私が勤める大阪大学に来たのでした。

来日する前は、欧米諸国の中でも動物福祉政策が遅れている国で活動していました。

当時の日本の大学では、動物実験の現場はかなり悲惨な状況にあって、詳細を活字にすることさえはばかられるほどです。飼育室や実験室には冷暖房の設備もなく、夏は炎暑地獄、冬は凍るような寒さの中で人も動物も同居していました。

屋上にあったイヌの飼育小屋は吹きさらしで、風雪を遮るものもなく、冬には凍死するものや、夏には40度以上にもなる床からの輻射熱で、体力をどんどん消耗させ、健康体と思えるイヌは1匹もいないという状況でした。

イヌやネコのエサは近くの市場や職員食堂からもらった残飯で、それを大きな釜で煮こんで食べさせていました。

残飯をていねいに分別できないので、時にはタバコの吸い殻やコップのかけらなどが混っていたり、夏はすぐに腐って、すえた臭いがあたりに充満していました。

大阪府の犬管理指導所から、一頭数百円というただ同然で入手した実験用のイヌやネコたちも、このような環境ではまともに生きてゆくことさえできません。実験を待たずに日々死んでいくという状況でした。

何とか持ちこたえて実験に供された動物も、成果の日の目を見ることもなく、途中で死んだり、処分されたりしていました。

おまけに検疫体制もなかったため、ジステンパーや伝染性肝炎などがいったん発症すると、次から次へと病気にかかり、多くのイヌが死んでいくこともありました。

これらの情報は外来患者さんや入院患者さん、近隣に住む人達の口から動物福祉協会に届いて、協会から大学(動物委員会) に対して何回も改善要求が出されました。

しかし、当時の大学では、 実験動物たちに対してきめ細かい配慮をすることなどとても考えられない状況でした。 たとえば、実験に使うゴム手袋は何度も何度も洗って再利用していましたし、手術のあとに使う包帯も、患者さんたちのお古を使っていました。それだけではなく、手術に使うメスやハサミなどは錆びたものばかりで、満足に使えるものはほんのわずかだったのです。

このようなことは、私の勤務する大学だけではなく、当時他の大学でも多かれ少なかれ同じような問題を抱えていました。国立大学の医学部でこんな状態なのですから、他は推してしかるべきです。

そういった日本の情報を事前にイギリスで聞いていたアンは、いても立ってもいられなくなりました。 日本の実験動物の現状を直接自分の目で見た上、出来ることがあれば改善のための手伝いをしたいと思いたって、来日したのでした。