54. 「溝」

 学会以外では久し振りに東京に行った。動物愛護週間にちなんで、環境省や愛護団体主催のシンポジュームに参加するためである。

 基調講演は「ヒトと動物の共生に向けて」という演題で東大の林良博教授の講演があった。総論では犬の処分数が5年前と比べ大幅に激減しており、動物福祉の考えが国民の間に浸透しているという話であった。年間50万頭であったのが現在では10万頭に減っていると発表されていたが、その数字の根拠になるものは示されなかったので、いささか、不満の残る講演であった。

 ただ、印象に残ったのは愛護について何故、無関心ではいけないのか?虐待は駄目だが、そういう考えもあることを認める必要があるのではないかという言葉にはうなずいてしまった。

 その後の分科会では実験動物に関するパネラーの講演があったが、中央環境審議会動物愛護部会長の竹内啓先生の司会のもとで進められた。

 パネラーは岐阜大学医学部教授の塚田敬義先生、地球生物会議代表の野上ふさ子氏、日本製薬工業協会医薬品評価委員会委員の池田卓也氏、慶応大学医学部名誉教授の前島一淑先生であった。

 野上さんと前島先生は古くから知っており、お二人の話をじっくり聞かせて頂いたが、特に野上さんは昔に比べてとても口調が柔らかくなったと感じた。以前の彼女を知っている実験動物関係者はガチガチの反対論者だと思っているだろうが、基本的な考えは変わらなくても、対角線にいる人達に対して、耳を傾ける態度は好感を持てた。  昔、私の所属する実験動物技術者協会関西支部主催で川崎医大で動物福祉のシンポジュームを開いた時は敵意剥き出しの彼女だったし、私達の講演にもするどい質問を投げかけて来た彼女であった。

 ただ、気の毒だったのは野上さん以外は全員、動物実験に関係した人で、もう少し、バランスの取れたパネリストを選ぶべきだと思った。

 二十年近く前、私がまだ医学部に居た頃に行われた実験動物学会主催の「苦痛に関するシンポジューム」で動物福祉協会の山口千津子獣医師一人が他のパネラーに対して、強く実験動物にも苦痛があると訴えていた姿とダブって見えた。彼女の話と実験者側の話にはまだ大きな溝があり、参加者の方はどちらの意見を尊重したら良いか迷われたと思うがその溝を埋める為にはお互いの歩み寄りに期待するしかない。

歴史的段階を経て、実験動物福祉の浸透が行われて来ているのは事実だし、目的を同じ所に掲げて両者の意見を交流させることが今後の課題だと思う。愛護週間だからと言わずに、機会を作って何度も話し合って行くことが出来れば、決してお互いが対角線に存在する者とは思わなくなるだろう。ただ、ひとつだけ、非常に残念なことがあった。会が終了して帰る準備をしていたら、急に一人の女性に呼び止められた。「貴方が佐藤さん?」と言うので、てっきり私のHPを見てくれている人だと思った。会場でも質問をしていたので顔は皆さんに知られていたが、「何か御用ですか?」と聞いたら、 

「貴方はレスキュー協会の講演に出てますね?」「はい、出てます」

「何故あんな協会の講演に出るのですか?貴方の品位を落としますよ。

協会の・・・さんはとんでもない人で・・・」と長々と喋り出した。私は人を待たせていたこともあって、「貴方は動物の目線でものを見ないで人で判断するのですか?急ぎますので帰ります」と言って別れた。

 別れ際に手渡された物はレスキュー協会のある人物を誹謗する内容のものだった。これで、レスキュー協会が立ち上げた施設に対する非難のひとつが判明したが、とてもやりきれない思いをした。

 同じ目的をもった人同士の溝がここにも存在するのだと思うと情けなくなった。例え、どんな人が中心になって活動しようが、その人がどんな人物であろうと、結果論として動物福祉が啓蒙されればそれで良いではないか。「あの人がやってるから嫌だ」とか「方法論が違うのでついていけない」とかの理由は言葉では「動物福祉」を謳いながら、実のところは「自分達が正しい」と、常に自分中心主義で動物のことは他所に置かれている。そういう人達には啓蒙活動はやって欲しくない。誰の手も借りず、一人で施設に行き、処分される動物を引き取って一生を家族として暮らしている人もいるのに、何故、組織となったら、こういう問題が出て来るのか不思議でならない。この時ほど、私は何処の組織にも属さないことに、本当にほっとした思いで会場を後にした。