49.私の夢「実験動物福祉士」

 各大学や大手製薬企業の動物実験施設を維持している所では必ず、「動物実験委員会」や「倫理委員会」なるものがある。これは国の法律や基準に基づき、自主的に設置された委員会である。構成メンバーは殆どが教官や研究者で、技術者が委員会のメンバーとして選出されることはまずない。本来なら、現場のことを一番良く知っている者がメンバーになるのが当然だと思うが、残念ながら、技術者はカヤの外である。動物実験委員会では実験動物に関する様々な問題点を話し合ったり、研究者から出された研究計画書の査定を行い、倫理的に問題があるような実験に対しては、当事者に意見を打診することができる。また、意見を無視して実験を続行して、社会的な問題に発展するような危険性があれば、その実験をストップできる権限を有している。

ところが、実態は研究計画書のすべてを見る訳でもなく、自分の専門以外のことに対しては理解出来ないので、殆どの実験はフリーパスで行われているのが現状だ。技術者の目から現場を見て、これは問題があると思っても、委員会で認定された実験には一切、文句は言えない。

また、委員会の構成員でも、もし、異論を唱えたりすれば、今度は自分の研究や部下の研究に関して、問題提起された場合は困るので、提出書類は形式だけのものになることが多い。米国やヨーロッパ諸国では研究者以外のメンバーとして、技術者も参画し、技術的、道義的に問題がある場合には委員会で意見を述べることも出来、委員会側もその意見を尊重する。また、外部委員として、動物福祉活動家や弁護士なども参画し、客観的な立場から実験の科学的、道義的責任を追及できるシステムにもなっている。所謂ガラス張り政策の一環である。

もちろん、しのぎを削る研究内容の骨子に関しては秘密主義であることには変わりは無いが、少なくとも方法論や必要論については充分、討議されている。それでは何故、日本はそういうシステムになっていないのか?それは縦型社会による、権威の象徴で、「たかが技術者のくせに」とか「素人のくせに」という言葉が平気で発せられるように、研究者や教官は特別な人として位置付けられているからだ。権威を守るためには「たかが技術者」などを委員に選出すると委員会そのものの権威が下がると思っているのか、いらぬ口出しをされると実験がやりにくくなると思っているのか、とにかく、今の日本の現状では実験動物技術者の参画はありえない状態となっている。

私はひとつの夢を持っている。それは日本の実験動物技術者が動物福祉のリーダー的存在となって、社会的認知を得られるようになることだ。もう、何十年も前から「国家資格認定」の問題を技術者協会で話し合って来たが、残念ながら、いまだにそれが実現出来ていない。学会主導型の認定試験もあり、その内容も一級レベルでは生半可な知識や技術では通らない試験である。すでに多くの一級資格者も誕生しているが、政府はこれを認めようはしない。その理由は色々あるが、監督官庁が文部科学省から厚生労働省、農水省まで渡っているため、どこが責任を取ってこの認定を行うかでいつも頓挫している。受講者も私のように国立大学の職員もおれば、製薬企業の技術者や獣医学関係の職員もいる。

非常に多岐に渡っているので、リーダーシップを取れる監督官庁がないのが現実だ。だから、いつまでもこのような制度に頼っていては埒があかないので、いっそのこと全省庁にまたがる、総理府(内閣府)が仮称「実験動物福祉士」の養成、設置に向けて動いてくれることを願っている。これは内部職員に限らず、外部からの導入も可能という意味で、決してそこの職員でなくても構わない制度だ。昔、総理府内に「動物保護審議会」という組織が誕生し、そこが現在の法律の制定に向けて努力したのも覚えている。現在も法律の抜本的見直し作業をしているが、その中でも「実験動物福祉士」がどのような施設でも設置されるように義務付けられることが、私の最大の夢の実現である。新しい法律では各自治体の責任で大学等の査察制度も検討されていると聞くが、もし、この制度が確立されたとしても、査察官がどれだけの知識と実行力を持っているかで、「動物福祉の基本的理念」に沿って実験が行われているかの判断基準が変わってくる。

それならば、内部に有資格者を置くことで、査察官とも連携が出来、より一層の監督が可能になってくる。権威に対して、権威で望むのは個人的に好きでないが、今の日本の制度を根本的に変えるためにはやはり、弱い者の代弁者としての権威に頼らざるを得ないだろう。