48.「命二題」

 人には様々な運命が待ち構えている。このところ救急車に二度世話になった。

ひとつめはお盆の日の出来事である。たまたま、和歌山の加太という所にある長大な防波堤でその事故は起こった。大雨警報が出ているのを知らず、先端付近で竿を出していた夜中に、友人の彼女が海に落ちたのである。「ドッポン!」という大きな音で振り返ったら、首だけを海面に出して溺れかけていた。とっさに掴んだ釣竿で「これを掴め!」と大声を出して、差し出した。海面までは4メートルもあるので、ぎりぎりだったが、溺れる者藁をも掴む心境で、彼女は辛うじて竿の先端を掴んでくれた。

そのまま、ソロ~と流れの少ない防波堤の内側に引っ張って来たが、重さに耐え兼ねて、竿先が抜けてしまった。防波堤は垂直で、掴む出っ張りも、テトラポットもないので、「牡蠣でもフジツボでも良いから掴まっておれ!」と再び声をかけ、竿受けに使っているロープ付きバケツを垂らしてそれを握らせた。何とか内側に引っ張って来たが、到底そんな細いロープでは自力で上がることは不可能だ。パニックに陥っている友人は右往左往するばかりで、「どこかに太いロープを探して来ます」と言ってなかなか帰って来ない。徐々に腕が痛くなってくるし、豪雨と波で体力が消耗している彼女の姿がヘッドランプに浮かぶ。結局は他のロープが見付からず、友人は「僕、海に入ります」と言ってその細いロープを頼りに下りようとしたが、途中で彼も仰向けにはまってしまった。彼女と違って泳げるのでそのまま、彼女の身体を保持するように言ってから、防波堤の中程に設置されている救命用の縄梯子の所まで二人を引っ張って行った。

かなり時間がかかったが、何とか梯子の所までたどり着いたものの、肝心の梯子は壊れており、服を来たままでは上がれる状況ではなかった。

この時になって初めて、携帯電話が服のポケットに入っていることに気付き119を回した。15分後、救急車、消防車、パトカーが15台も集り、防波堤の上は大騒ぎになった。隊員が私に代わって服のまま飛び込んでくれた時は、本当にへなへなとなってしまった。二人を保持していた一本の細いロープはまさに命綱となった訳だが、これまでの長い釣り歴で二度目の人命救助の経験をさせて貰った。こんな悪天候に彼女を連れて来た友人を叱る元気もなく、とにかく、命が助かったことに感謝した一日であった。

(その二)

 ふたつめは同居している家内の父のことである。

パーキンソンの重症で寝たきりの生活を送っているが、食事の時だけは車椅子に乗せて、家族と一緒に食べさせている。この日は割りと早く帰宅出来たので、一緒に食べようとしていたら、家内が「先ほど、ご飯を口に入れたら、喉をつまらせたようで、急に食べなくなった」と言った。

私も大したことはないだろうと思っていたが、良く見ると呼吸が苦しそうである。聾唖なので、言葉のコミュニュケーションが出来ず、訴えることも出来なかったのだろう。無理矢理、口を開いて懐中電灯で奥を照らすと何か大きな物が気道を塞ぐように見えていた。義父は上下二本の入れ歯をしているので、確認すると一本が無い。慌てて、医学部時代に実験で使っていた手術用鉗子を探して来て、抜こうとしたが、見えている部分が僅かなのでこれ以上奥に入ってしまうと完全に気道閉塞を起こしてしまう危険があると判断し、救急車を呼んだ。10分後には私の持っている鉗子よりも長くて異物を取り出しやすい道具で隊員が上手に抜いてくれた。

義母は傍で見ていて、泣きながら神様?に拝んでいたが、死亡事故に繋がる事も無く、この時も冷静な救急隊員の行動に心から感謝するばかりであった。このような救急救命士の医療行動について、医師会からは未だに「素人の治療」として、色々と反発があるようだが、目の前に死と隣り合わせでいる人間に対して、一刻の有余を争っている時に医師法が立ちはだかっている現状に益々疑問が湧いたふたつの事件であった。

運命のいたずらはその辺にいくらでも転がっているし、ちょっとしたことで、命というものが簡単に消えてしまったり助かったりするものだが、結局はその人の持っている運の強さと生命の強さなのかも知れない。