4:  公務員一年生

夜間高校の卒業を間近に控え、いつまでも実験助手ばかり続けていられないので、真剣に次の就職のことを考えていました。ちょうどその矢先、当時、研究者の総合利用実験室の一部に動物実験室があり、そこのスタッフが辞めたので来ないかという誘いがありました。

もちろん、正式採用としてのお話でした。

「行政職二」という現業職員扱いでしたが、一応、国家公務員に変わりはありません。このお話しをありがたくお受けすることにして、4月1日から実験室の管理者として仕事を始めることにしました。

ここで、国家公務員の職制と実験動物技術者の位置付けについて簡単に触れておきます。

一般行政職として「一」と「二」に分けられ、「一」は一般事務職員と高度専門機器を取り扱う技術職員、「二」は守衛、焼却場職員、患者さんのシーツや手術着などを洗うリネン室職員など現業職員が含まれています。

実験動物に関係した飼育職員もこうした現業職員として扱われ、私も最初の三年間は「行二」職員でした。

そのうち、色々な資格を取得したので、「行一」になれましたが、全国の実験動物関係職員はつい最近まで「行二」のままで定年を迎える人が多かったようで

す。

このような大きな病院では、職種による貴賎はないと信じていましたが、「行一」になるまで、同じ職員でも差別的な発言や行動が多かったのも事実です。例をとると、それは服装にも表れていました。普通の人にとっては、おかしなことと思われますが、この職場では、服装にまで厳重な規則があったのです。

つまり、「行二」の現業職員は作業服、「行一」は背広ネクタイ姿か白衣着用というのが一般的なスタイルでした。差別意識が服装にまで浸透していて、「行二」職員は一目でわかる服装には抵抗を感じていたのです。

私は実験助手の頃から白衣を着用して仕事をしていたので、「行二」になっても、今まで通りそのまま仕事をしていましたが、それだけで、生意気な奴と「行一」 職員だけではなく「行二」職員にもレッテルを貼られたことが何度もありました。

まして、注射器を持っていたりすると、「医者の物真似」と揶揄されましたし、「行一」になってからでも、影では色々言われていたようです。

このような体制の下では、自分より下位に属する者に対して強い態度を示しますが、上位に対しては一言もものも言えない雰囲気が蔓延しておりました。

「行二」の職員にとっては、頂点となる医師は雲の上の存在であり、「行一」の職員に対してさえもへつらうしかない状況だったのです。

私も公務員一年生であるし、誰が偉いさんか分からないので、廊下で出会う一般事務職員にまで頭をペコペコさげていたことを思い出します。

古い「行二」職員の中にはそういったストレスを発散するため、同じ 行二」の新参者に対して横柄な態度を取ったり、反発することが出来ない飼育動物に当たったり、常に自分より下位の者にほこ先を向けている人がいたのも事実です。

ただ、この現業員制度も徐々になくなり、いつでも交代要員を要求したり、断ったりすることの出来る外部委託職員が最近の職場環境の主流になって来ました。これも大いに問題があって、管理体制としての責任のあり方が極めてあいまいで、複雑になっていることも確かです。

実験室の管理者としてのスタートは、掃除の仕事から始まりました。

当時の実験室は旧結核病棟の三階にあって、手術用の部屋が二室と麻酔などを行う処置室、レントゲン撮影の現像室としての暗室が一室、管理室として三畳くらいの部屋がありました。

それ以外に、屋上にはプレハブで作られた術後回復室という名前のイヌ用ケージが四台置かれている部屋もありました。

この建物の地下には、患者さんの遺体安置室兼解剖室と霊安室があって、いつも線香の匂いが充満していました。すぐそばには、職員用の風呂場がありました。

エレベーターもないので、研究者が実験用の犬を運ぶ時はスロープ状になっている通路を専用運搬車で運んでいました。

実験室管理と言えば聞こえは良いのですが、実際は毎日が掃除の明け暮れでした。

勤務することになった初日に各部屋を見て驚きました。

確か、床はタイル張りのはずなのにそれが見えないのです。前任者がやめたあと、長い間清掃もされずに放置されていたのでしょう。動物の排泄物がつみ重なってこびりついている状態でした。

窓ガラスは壊れ、発泡スチロールで目張りがされ、壁だけでなく天井からぶら下がっている手術用のライトなども血だらけでした。

研究者はこのような環境の中で長靴を履いて実験をしていました。

実験助手をしていた部屋も相当汚い所でしたが、それに比べて、ここはまるで便所だと思いました。

とにかく環境の改善から始めることにしようと、床がタイル張りであることの確認作業から進めて行くことにしました。

特殊なヘラで汚物を掻き取って、壁や機器に飛び散った血液をふき取り、何とかまともに仕事ができる状態になるまで数ヶ月もかかったのです。

少しずつ掃除の要領も覚え、実験用の機器の操作と保守管理が出来るようになるまでにはさらに長い時間がかかりました。

こうして実験室の管理もようやく慣れて来たある日、私にとって生涯忘れることの出来ない人との出会いがありました。

その人の名前は、アン・ロスといいました。イギリスの女性です。彼女がこの物語の主人公で、この人との出会いがその後の私の人生を語る上で大切なものになるとは、その時は思いもよりませんでした。