子供の頃は普通に見られた蛍も今では相当な田舎に行かなければ見れなくなった。趣味の釣り好きが嵩じて、埋め立てで海岸線から遠くなった堺市から現在の大阪府南部に居を構えてから、初夏になるのが待ち遠しくなった。自宅から歩いて数分の所に、今でも蛍が飛び交う小川が流れている。ここは無農薬野菜を作る畑が散在しており、蛍のエサになるカワニナが多く生息しているらしく、日が落ちる午後8時頃から川筋や畑に幻想的な光を明滅させて飛んでいる光景が見れる。引越しして30年以上になるが、その光景は今でも変わらない。私が生まれた堺に住んでいた頃も、夜店(縁日)の屋台で籠に入れられた蛍が売られており、小学生低学年だったが、何でこんな虫が売られているのか不思議であった。自転車で少し走ればいくらでも蛍は取れた時代だった。確かに籠に入れられた多くの蛍が競い合うようにして光を放っているのは綺麗であったが、殆ど勉強せず、一日中外で遊んでいる子供達にはとりわけ珍しいものではなかった。それが、大人となり、徐々に自然とのバランスが崩れた状態に気付くことなく、生活をしていると、ふと、こういう光景を目にした時はとても、新鮮な気分になるのである。昔は田んぼに入るとドジョウや蛙、おたまじゃくしなども沢山いたが、農薬散布により、それらの姿は激減してしまった。効率ばかりを追い求めて自然環境で暮らせることの喜びを享受することもなくなってしまった。今頃になって「無農薬野菜」「遺伝子改変でない豆」などが謳い文句になって、消費者がそれらを追い求めるようになったが、化学肥料よりも人糞などの有機肥料がどれだけ自然に優しいかをもう一度、再確認しなければならないのは知能を持った人間としては恥ずかしい話である。私が住んでいた堺の田舎町ではめずらしく、田んぼの水遣りに使う風車が至る所にあった。肥溜めも多く、セスナ機から飛ばされる広告ビラを取りに畑の中を走っている間に何度もはまってしまった経験がある。そういった有機肥料華やかし頃は学校給食の際に寄生虫の予防、治療の為に「マクリ」という苦い液体を飲まされた経験のある方もいらっしゃることと思う。食生活文化の向上と共に、それらの光景はなくなったものの、代わりに予防も治療も出来ない化学物質が体内に取り込まれ、何年も後になって問題となり、裁判沙汰になったケースは周知のことと思う。医学研究だけでなく、食品検査に関しても多くの実験動物が使われていることを知らない方も多い。そういう危険な食物の為に動物実験は必要という輩もいるが、それこそ実験台になる動物は災難で、こういう動物のことを私は「毒味動物」と仮に呼んでいる。自然から供与されたものをいたずらに手を加えないで感謝して頂く、そういうことによって、どれだけの「毒味動物」が減るのかな?と今年も姿を見せてくれた蛍を見ていて感じた初夏の一日であった。