ある会議でのひとコマ。「たった5%くらいの死亡率で大事な研究をストップできるか!」「先生、そうしたら私がここに100個の団子を用意します。その中に5個だけ、食べたらすぐに死んでしまう毒が入ってます。先生はそれを食べることが出来ますか?」「君は技術者のくせに生意気なことを言うな!」この一言で会議は紛糾し、その技術者は以後、実験動物の仕事から一切、手を引くように言われました。それは10年以上も続きました。
5%の死亡率というのはラットという実験用のネズミから人間に感染する人畜共通感染症のことです。過去に全国の実験施設で流行し、残念ながら一人の技術者が死亡しました。現在のSARSのように新聞やテレビで報道され、大きな問題として取り上げられました。この病気は元々、「梅田熱」と言って大阪の梅田で最初の患者さんが見付かり、その後、感染者が増えるに従って死亡する方も出ました。感染源の中間宿主はドブネズミと見られています。また、朝鮮戦争動乱時に韓国で多くの米兵が感染し、この時も死亡者が出ました。その後、間欠的ではありますが、世界中でこの病気の報告例が続きました。後の研究でこの韓国の草原地帯に多く生息するアポデムスという野鼠に、この感染源のウイルスが存在していることがわかりました。どういうルートで日本に上陸し、一般はもとより、実験動物施設に感染が広がって行ったのか、未だに不明ですが、媒体はドブネズミなので、どこかで接触する機会があったのでしょう。そういう病気の感染例が再び、ある大学の動物実験施設からあったのを受けて動物委員会を開催して貰ったのですが、冒頭のような結果になってしまったのです。この技術者は過去にも他学部でこの病気を体験しており、感染した研究者の血清を持って同じ大学にある微生物病研究所に検査依頼もしているし、感染ラットの処分もしています。また、腎不全までもう一歩というところまで行った研究者から、万一の場合に備えて、遺書まで作ったと聞いてました。だからこそ、その怖さも充分、認識していたので、一刻も早く、施設にいるラットの検疫体制を敷いて、一人の患者も出さないようにと意見を具申したのですが、その行動と意見は無視された形になりました。それだけでなく、「実験動物関係者はそれだけのリスクがあって当然」とまで言われたのです。
死亡率5%という数字は一般にとって僅かなように思われますが、医学的には大変な数字でましてや、それを認識していない医者がいるということに、驚きを通り越して、あきれ返りました。自分も感染者になるかも知れない危険性、あるいは部下も犠牲になるかも知れない恐ろしさ、そういうことに無知な医者が「命」の研究をしていることに不思議を感じてならなかったと技術者は回顧しています。現在は殆どの施設でSPFラットと言って、微生物学的に管理された動物を使っていますので、そういう悲しい出来事は起こらないと思いますが、病気を持っていても安かったら何でも良いという無知な研究者がいれば、危険性はゼロになったとは言えません。実験動物福祉を考える上でも、このことは重要な警告を動物から発して貰った一例です。