36.「リスとトラ

 最近の日本は多くのリスとトラが徘徊するようになって来た。と言っても動物ではない、人間の話である。ここではリスは雇用される側、トラは雇用する側であるとしておこう。昔はこの力関係はうまくいっていた。リスは就職したらトラの為に、定年まで一生懸命働き、トラはそのリスの為に生活が安定できる条件と環境を守って来たのがこれまでの構図だった。ところが、「バブルの崩壊」という化け物の出現と共に、いつのまにかこの関係は崩れ、勤続年数、数十年というリスであろうと、トラに近い管理職の立場であろうと、容赦なく切り捨てられるようになって来た。私の親しい友人の中にもこの波をもろに被り、転職を余儀なくされた者達がいる。彼等はいずれも優秀な技術者であり、研究者であった。トラの為に身を粉にして働き、その報酬で家族を養い、ローンで家も建てた。終身雇用制が当たり前の時代だった。バブル崩壊前はそういった頑張り屋のリス達のおかげで会社も大きくなったし、有名にもなったトラもいた。ところが好事魔多し、世の中が不動産の高騰に目をつけ始めたのをきっかけに、我先に儲けだけを追い始めた。自社の経営だけに力を入れておけば良いものの、つい他に手を出したのがつまづきの元で、大手の生保や銀行が破綻するにつれて、今度は真面目なトラの立場の者までが破綻していくはめになったのである。もう、こうなったら止まらない。坂道を転げ落ちていくがごとく、次々と経営破綻で倒産する会社が相次いだ。何とか踏みとどまっている会社も最初はできるだけ無駄な物から省いて、極力、経営の持続に努力しようとしたが、ついに、人材の削減にまで手をつけなければならなくなった。いわゆる人件費の削減による「リストラ」である。バブル絶頂期は人手が足りないと東南アジア諸国まで行って人材を確保していたのが嘘のようだ。一時は大手建設業界も一人の日本人職人に10人の東南アジアの技術者見習工をつけて、まとめていくらというような入札をしていたこともある。今では、優秀な職人であろうと、当時の収入から考えられない給与で働いている人が沢山いる。それでも仕事があれば良いほうだと言う。若者の就職難はもとより、リストラであぶれた中年、第二の人生を捜している老年にとって、現在の日本の危機的状況は異常だと思う。終身雇用制がすべて良いとは思わないが、せめて、明日の食事のことを心配しないで済む労働環境を政府は緊急に講じて欲しいと思う。戦後処理に莫大な予算を投入するよりも、むしろ、現実に日本国内で起こっている問題に真剣な討論が欲しいし、トラ役の経営者も、一緒に苦労して来た優秀な人材を簡単に手放すことなく、何とか企業努力で現在の危機を乗り切って欲しいと思う。家族や愛する人までを放置し、自分の時間も持たず、ひたすら企業戦士として、働いて来た人の行き先はリストラだったとは本当に情けない世の中になったものである。