34.「矛盾」

 小さい頃、矛盾という単語の意味を教えてもらってから、まさか、この世の中にこんなに多くの矛盾が存在しているとは思わなかった。「この矛はどんな物でも貫くことができる、この盾はどんな物でも貫くことは出来ない、さすれば、両者を戦わせたら永遠に勝負にならない」との比喩であるが、周囲を見渡せばそんな理不尽なことがゴロゴロしているのである。身近なところでは「電車内では携帯の電源をお切り下さい」とアナウンスしているにも関わらず、乗客の多くが平気でメール交換しているし、シルバーシートでは若者が堂々と座っている。電波障害によるペースメーカーの誤作動が起きて、心臓障害者の命に関わる問題なのにまったく無視されている現状だ。シルバーシートは車両の奥まった位置にあるのが相場で、他の乗客から見えにくい場所なので、若者達の格好のエリアともなっている。また、「人間の命は地球よりも重い」と教育されて来たにも関わらず、戦争によってその尊い命が簡単に奪われてしまっている事実。誰かが交通事故で亡くならない限り信号や横断歩道が設置されない現実。老人一人が亡くなると図書館ひとつを失ったことと同じと言いながら、お年寄りが安心して暮らしにくい環境。ひとつひとつ上げれば、枚挙にいとまがないほどであるが、実験動物の世界にもどうしようもない矛盾がある。

まずは総論的であるが、人の命の為に、何の罪もない動物を犠牲にしている現実がある。それはペット由来であろうと、生まれながらにして、ケージ内で育った動物であろうと同じである。命という原点で考えれば肉食人種であろうと、ベジタリアンであろうと、自分の生命を保つ為には他の命を奪っていることに変わりはない。だからこそ、感謝の気持ちを忘れてはならないのである。日本人の主食である米は「お米」とわざわざ丁寧語で言うのはその感謝の現われとして使われて来たからだ。一本の苗からお百姓さんが苦労して育てたお米を一粒残らず食べることは我々の年代層には当たり前のことだった。もし、少しでも茶碗に米粒が残っていると、亡父にこっぴどく叱られたものだ。「元々、不必要とされて捕獲された野良犬、野良猫なのだから、科学の為に役に立てたほうが良い」というのは意外と一般に受け入れられそうな解釈だが、これもまったく、理由にならない。彼らは自分から進んで捨てられた訳でもないし、実験の為に生まれて来たのではないからだ。では、どうすればそういった動物を使わないで研究ができるだろうか?と考えても明確な答えは出て来ない。そうすると、次の段階は使用動物の削減であるが、まずは不必要な実験系を減らすことが先決である。しかし必要、不必要の決定は大変難しい。研究テーマを上司から与えられて、その中に動物実験が組み込まれていたら、拒否は出来ないし、例え追試であっても本研究を始める前には確認しておく必要がある。国内、国外の発表論文に書いてある方法を模索して、本当にその研究成果が正しいかを確認する為には動物実験しか方法がない場合がある。悲しいかな、日本の研究者は国際的に認めてもらおうとすれば、海外の有名な学術雑誌に投稿する際、厳格なレフェリーに審査を受けてパスしなければならない。それが例え、画期的な研究であっても、英語論文のやり取りのあげく、ほんの僅かな差で海外の研究者に遅れを取ってしまうこともある。海外の研究者と同様の研究を行っている場合は特に時間が決め手で、一刻も早く雑誌に投稿しなければならない。ある研究者の話では日本人がノーベル医学賞を取れないのは、レフェリーが親しい研究者にその内容を事前に漏らしている可能性があると聞いた。その真意は明らかでないが、その為、研究内容がばれないよう、細心の注意を払って研究しなければならず、つい姑息的な手段に頼ってしまう結果、動物実験が暗いイメージとしてとらわれて来た歴史は否めない。

各論においては、これら実験動物を管理する側の矛盾である。各種の動物に応じた環境設定をしたいと思っても、まず予算的な障害にぶつかる。犬を例に取れば幅70センチ、奥行き120センチ、高さ100センチのケージに収容しても、これが本当に犬にとって最低限のスペースなのかわからない。まして、収容頭数を多くする為にこのようなケージを二階建てにして、連棟式になっているケースが多い。また、床は糞が落下しやすいようにかなりの隙間が設けられている。学会などでもケージスペースについて、色々議論されているが、大半が米国のNIHの基準さえ満たしておれば問題は無いとされている。実際にそのような今までに比べて広いスペースのケージを使用している所も多くなったが、果たしてそれで満足な環境設定と言えるかどうかである。一日中、日の目も見ず、排泄もできるだけ扉に近い場所にしていることを思えば、やはり犬というのは開放環境で飼うのが一番と思える。せめて、それが無理なら一日一回は外に出して自由な時間を与えて欲しい。恐らく、今の大学や研究所の立地条件ならすぐに近隣からの苦情が続出し、すぐに駄目になるだろうが。また、作業性を重視し、床の隙間を大きく開けた為、足下は非常に不安定で、常に肢間は大きく開いたままで、下手をするとその隙間に肢を入れて骨折するケースもある。飼育管理人の作業性を考慮するか、犬の居住性を考慮するかの矛盾点であるが、これも大きな課題である。

最後に、馴化の問題であるが、入所して来た犬に対して、思い入れを強くした為、いよいよ実験で殺される時には大変悲しい思いをする。研究者が実験をやりやすくする為、馴化という方法で凶暴な犬も愛情をかけて飼育すれば次第に大人しく、注射の際も暴れることなくスムーズに行うことができるようになる。これは次元が違うが盲導犬を仮親として飼育した人ならご理解頂けると思う。だから、飼育管理者に「実験動物に愛情を持って接して下さい」ということはかなり、酷な要求をしていることになるのである。「可愛がれば辛くなる、可愛がらなければ良心が痛む」この矛盾だけはどうしようもない。こういう気持ちを研究者も共有してくれれば、動物福祉の考えも新たな展開を見せると思うのだが、結果だけを重要視している人には管理者側の気持ちなんて伝わらないだろうな?