31.「ラーメンと鎖」

 僕は健啖家であるにもかかわらず、ラーメンと焼きソバだけは胃腸が素早く反応し、すぐに下痢を起こす体質であることを恨んでいる。特にレトルト食品の代表格であるチキンラーメンと鉄板焼きソバを食したあとは必ずと言って良いほどお腹が緩くなってしまうのである。といって、嫌いかというとそうではない。むしろ、大好きである。

小学生低学年の頃、近所の先輩の家で食べたチキンラーメンの食べカスと汁を初めて飲んだのが、最初のレトルト食品との出会いである。その時は世の中にこんなうまいものが存在するとは、と思うほど感激したものだ。今から40年以上も前の話である。ドンブリ鉢に熱湯を入れて3分間。まるで魔法のごとく出来上がったラーメンに驚きを覚えつつ、先輩が早く食べ終わるのを、涎を垂らさんばかりにひたすら待ったのだ。

その頃、僕達が住んでいた町は貧民屈とは言えないまでも、それに近い暮らしをしている者が多かった。まだ、出回って間もないチキンラーメンを食べる事のできる家庭はほんの少しだった。いわゆる大阪弁で「ええし」金持ちだけである。僕の家も例外ではなく、毎日、深夜まで働く親父と内職で身体を休ませる余裕も無い、おふくろに無理を言える立場ではなかった。恥ずかしい気持ちを心のどこかで引きづりながら、先輩の声がかかると喜んでついていく野良犬のように通ったものだ。冷めた汁の底に僅かに残された麺のかけらをめぐって、同じように先輩に呼ばれた友人と喧嘩をしたこともあった。家に帰れば麦飯とさつま芋が混じったおかゆとは言え、ささやかなオカズと共に温かい家庭が待っているというのに、僕らはその味に夢中になったのである。

まだ、箸をつけていないラーメンを思い切り食べたい、そして、その残り汁にご飯をぶっかけて、ラーメンライスを作りたい。その気持ちが高ぶるにつれて、僕達は何か良い方法はないかと考えた。それにはまず、お金が必要であるのでアルバイト先を探したが小学生の低学年ができるようなものは何も無かった。仕方なく、その辺りにある鉄屑拾いを目論んだが、当時は今と違って金目のものは落ちているはずはなく、磁石を紐に結んで線路沿いをひたすら歩いたり、ドブ川に浸かって当時は「ガタロ」と呼ばれていた川さらいの真似事もしてみた。今、思うと一杯何十円かのラーメンの為に随分バカなことをしたものだが、その頃は真剣だったのだ。鉄屑屋ではアカと呼ばれていた真鍮や水道管に使われていた鉛管は高く買ってくれたが、当然、僕達には手に入る品物ではなかった。牛乳ビンの底に僅かに溜まった錆びた釘と鉄粉を眺めながら、これではいつになったらラーメンが買えるのかと本当に情けなくなった。その時、僕の頭に突然閃いたものがあった。今でも僕は犬が好きだが、当時は他人が飼っている犬に給食の残りのパンを与えたり、勝手に散歩に連れて行ったりしていた。そういう犬は僕に大変懐いており、どんな大型犬でも平気だった。ええしの家では立派な鎖で繋いでいたので、これを売り飛ばそうと考えたのである。犬も自由になって喜ぶし、一石二鳥だととんでもない考えを実行に移した。家人が居ないことを確かめ、玄関先に繋がれている犬の鎖をはずすと、喜んで僕に抱きついてきた。犬だけをその庭に置いたまま、数件の家を回って鎖を確保し、それを持って、鉄屑屋に売り飛ばしたが、確か一本、二十円くらいで買ってくれたのを憶えている。そのお金はすぐさま、チキンラーメンに変身し、僕と親しい友人の腹に収まったが、ゲップが出るくらい食べたものだ。飼い主にしてみれば災難で、庭に放置された犬のお陰で、花や盆栽は踏み潰されるわ、そこらじゅうに大小便を垂れ流されるわで、随分、迷惑だったろう。恐らく、その時の悪さが祟って、ラーメンや焼きソバを食べるとお腹を壊すようになってしまったのかも知れない。