-書籍 カタカナの墓碑 推薦のことばに代えて-
元神戸市立王子動物園 亀井一成
先進医療の発展には動物実験を除外しては語れないのです。
著者の佐藤良夫さんは40年前、空調設備が何もない大学の実験動物舎で汚物にまみれながら、助かることのない動物たちの命をもくもくと守り、医療の進展に努力されてきました。
その佐藤さんの元へイギリスからアンというやさしい女性が、日本動物福祉協会を通じ動物実験施設で是非働きたいと来られたのでした。
当時、実験動物の現場はかなり悲惨な状況で 施設の多くは屋上にあって、冬は寒く、夏は暑く、動物のエサにしても近くの市場や職員食堂からもらった残飯を大きな釜で煮こみ食べさせるのです。
同じ頃、王子動物園の飼育係だった私もまた、飼料費が少なくペレット(人工飼料)もなく、佐藤さん同様に市場や食堂へ車を引きエサの調達にでかけました。
アンさんはその残飯の中からタバコの吸殻やガラス片やゴミをていねいに分別したり、毎日のように汚れた飼育舎をヘラでこすり、きれいに洗っていたのです。
不安で荒れくるっている犬を決して叱らないアンさんは、糞尿で汚れた床に座って顔を低め、やさしく声をかけてやりました。そして、自分の手の平に唾液をつけ犬に舐めさせ、もう片方の手で優しく撫でることで興奮を鎮めます。
私もまた50年前、外国から輸入された気性の荒い動物をどう鎮めてやるか苦労しました。「ボクは味方「なんだよ」とくりかえし、水やエサをやっても荒れくるい、苦痛の連続でした。
今日ではエアコンつきの動物舎で、動物のほとんどが何れかの動物園育ちのため、人によく馴れています。 それでも力づくでも身動きできない保定(押さえつけて身動き出来ないようにすること)にはキバをむくのです。
ある日、佐藤さんが屋上の飼育舎から、別棟の実験室へ犬を移動させていた時のこと、エレベーターの中で、 突然犬が鳴きました。
その時、外来患者さんが、
「ここは獣医病院もあるのですか」
「この犬はどこが悪いの」と尋ねました。
答えに困った佐藤さんは、
「これから実験するところなんです」など言えません。
「エエ、ちょっと調子が悪いのでこれから治療します」と答えた佐藤さんはとても胸が痛んだことでしょう。
この文章を読み終えた時、ふと動物園での出来事が走馬灯のようによみがえってきました。
夏休みのある日、
「おじちゃん、ウサギを助けてあげて」
「はやくはやく」
血相をかえた小学三年生の女の子二人が、大きなニシキヘビに襲われそうなウサギを見たのです。
私は一瞬「しまった」と思いました。
前日の休園日に、エサとしてやっていたウサギです。顔を青ざめ唇を震わせている二人に、
「よし、おじちゃんが助けたる」と言って、私は箒とベニヤ板を手に子どもたちと走りました。
ニシキヘビを飼育している爬虫類舎は坂の上にあり、息をきらせて走る私。2人も走りました。
与えたウサギは3匹。残った一匹は運命をさとったように部屋の隅で丸くなっていました。
この時期、つまり夏のヘビは脱皮のあと、食欲が出て激しく動きます。
体長5メートル。シューとS字に身がまえ、 こちらに向って何度も襲ってきました。
ベニヤ板で攻撃をかわし、私は隅のウサギを掴み、身をひるがえし外に出て扉を閉めました。
目の前でウサギを助けるため、太ももぐらいもある大蛇に私が襲われるかもしれない。二人の女の子は何度か悲鳴をあげ、手で顔を覆ったようでした。
私が助けだしたウサギを子どもたちはやさしげな顔で抱きしめ、足どりも軽く飼育舎へ戻って、そして二人の手で放しました。
ほこれはまさに神社や仏寺で行う「放生会(ほうじょうえ)」でした。
私はこれでよかったと思いました。それでもこの子どもたちには、生きるため、自然界では食う、食われることをどうしても話してやらねばなりません。
帰りかけた二人に説明しはじめました。
「陸では草木が育ち、樹液を食べるアリマキ→テントウムシクモ→カエル→ヘビ→ワシ→さらにワシはネズミやウサギを食べる。アフリカではライオンがウシカモシカやシマウマを捕食する。
太陽の日差しが植物を育て、草食動物がそれを食べ、そして肉食動物が草食動物を餌として食べて生きている」
こうした生きるための「食物連鎖」を絵にして分かりやすく話してやりました。
やがて、その子たちが中学、高校生になった時、私が助けたのは“生餌”であったと知ることでしょう。
今まで、生きた餌ではなく、何とか肉を食べてくれないか、 羽毛をつけ、糸で動かせ餌づけを試みましたが、ニシキヘビは全く食べないのです。
動物園ができて50年。今、ワニやヘビ舎のプールには倒木を沈め、淡水魚を泳がせています。
バシャーン!
時折、ワニが魚を捕食していますが、すべてを食べません。飢えを満たせばプール内は静まり、ワニの口この辺りまで近づいて泳いでいる魚を見ることができるのです。
こうした連鎖の中で人間も食を得て生きているのです。
平成4年7月、大阪において日本実験動物技術者協会第26回総会記念事業の一つとして「実験動物技術集」 論文集が発行されました。
その序文に医学博士・高橋久英(理事長)は、”人の健康を科学する実験医科学の進展を考える時、実験動物を外しては多くを語ることはできない”、と記されています。
実験動物の近代化が図られて40数年、先人の創意工夫が脈々と受けつがれ、動物に対する苦痛を和らげるための工夫はさらに進められるべきです。
「オリの中からのメッセージ」と題した私の記念講演の後、はからずも、その総会場で佐藤さんと私は初めてお会いしました。
動物園の飼育係として、そして実験動物の飼育技術者として、熱く手を握りあった時、ふと互いの目は真っ赤になっていたことを忘れません。
生きたまま餌として与えなければならない私と、医学のための実験動物として処置しなければならない佐藤さん。それぞれの立場を深く理解しあった刹那が互いの脳裏に浮かんだのでした。