先日の講演後にレスキュー協会がアンケート用紙を配ったらしく、そのコピーが送られて来た。130人分の回答用紙で、大半が小生の講演に好感を持ってくれた内容であった。ただ、5名の方だけが何を勘違いされたのか、「動物実験推進が始めにありき」の講演だったと書かれていた。そして、そのような立場の人間の講演には感動も覚えなかったとも記されていた。10人いれば色々な意見があって当然だが、一部とは言え大変残念なアンケート結果であった。
小生が何故、「カタカナの墓碑」のホームページを作り、多くの日本人に伝えようとしているのか、一体、何を期待して来られたのか理解に苦しむ内容だった。講演では一言も「動物実験の擁護」「動物実験反対」の話はしなかったし、研究者でもない一技術者の小生が言える立場ではないことを十分、理解している。当時の動物実験の現状をありのままに伝え、アンと出会ってからの変革やその後の個人啓蒙活動についてお話をしたつもりである。
時間の都合で、この世界の人間関係について詳しく話さなかったが、「動物小屋のおっさん」と呼ばれていた関係者は職場でも最下位に属し、白衣を着たり、注射器を持っただけで「生意気な奴」と言われていた時代の話である。そういう立場の人間が、内部で上位の者に動物福祉の啓蒙活動をして行くのに、どれだけの悔し涙を流したかは理解出来ないだろう。過去の経緯も理解せず、ただ、「動物実験関係者」だというだけで、すべての人を攻撃対象にしてしまう彼等の対応に、正直、情けないと思った。こういう人たちにはいくら、力説してもアンの気持ちは伝わらないだろうと思った。
動物実験の福祉論争では外野からの評論家は沢山いる。でも、内部からの変革を希望して、実践している人もいるという事を理解して欲しかった。最後のスライドで、アンの影響を受けて、動物福祉に奔走した挙句、様々な軋轢で精神的にダメージを受けた一人の日本人技術者の死を伝えたのもそういうことである。まかり間違えば小生も同じ運命を辿っていたかも知れない。このHPやエッセイ集を見たり、講演を聞いても「何も得ることが無い」「感動もしなかった」という人には動物福祉活動なんてして欲しくないというのが正直な気持ちである。