アンが亡くなって20年以上が経ちました。
私が勤務していた大阪大学医学部では、何度も改築工事が行われ、独立棟の立派な実験動物施設が現在稼動しています。
施設の大きさだけでなく、空調設備、スタッフの充実、学生や研究者に対する教育カリキュラムの徹底など、 動物福祉の理念に沿った形で質的に整備され、運営されています。
その後、私自身は他学部に異動し、現在医学部の所属ではありませんが、勤務途中にりっぱになった施設を見上げるたびに、今もしアンが生きていたらどんなに喜んだことだろうと思うのです。
新しい建物にはアンの形見となるようなものは一切残っておりませんが、動物福祉の理念が現場のすみずみまでに徹底され、彼女の精神は脈々と受け継がれております。
それは私たちの大学だけではなく、日本全国の大学も同様で、現在動物実験を行う指針には必ず「動物福祉」の文字が使われるようになったことが証明しています。
でも、アンのようなイギリス人女性がいたことをほとんどのスタッフは知りません。まして、昔は地下牢のような劣悪な環境の中で実験をしていたことを知る由がありません。
今の若いスタッフは、最初から綺麗な現場で働き、それが当たり前だと思っているのが現状です。
医学の裏側にある実験動物の歴史も、イギリスにあるアンのカタカナの墓碑と同様に、日本人関係者の頭から忘れ去られてゆく運命なのかも知れません。
最後にあたって、今一度アンの言葉を確認し筆を置きたいと思います。