17.「訃報」

甥子が34歳の若さで旅立ってしまった。

早朝に電話があり、家内が出たが、「エエ!」という声で何かあったと気付いた。死因は急性心不全で、布団の中で眠ったままあの世に旅立った。隣に寝ていた甥の嫁が気付いて救急車を呼んだが、病院に着くまでもなく、呼吸は止まっていたそうだ。二歳と五歳の子供を残し、あまりにもあっけない死だった。

甥は小生の名前の一字を取り、命名を良浩としてこの世に生を受け、誕生日も2月5日の同じ月日だった。結婚式には彼の一番好きな叔父として仲人も引き受けた。そんなこともあって、やんちゃ坊主だったが他の甥や姪の中でとりわけ可愛いかった。佐藤家に長らく子供が恵まれなかった為、甥が息子の代わりとして、我々夫婦を慰めてくれた。何処に行くのも連れて行き、姉がやきもちを焼くほど仲が良かった。

小生の趣味である釣りや、ギターの演奏も見よう見真似で覚え、いつのまにか叔父を超えてしまった。成人してもギターを弾く叔父として、「ビンビン兄ちゃん」と小さい頃からの呼び名で小生の家に電話をして来た。クリスマスや正月、地域の文化祭などでは甥と一緒に演奏するのが楽しみだった。顔は中村雅俊にそっくりなので、良く冷やかされていたが、歌は本人より上手だった。小生の職場にも何度か来た事があったが、汚い臭いと蔑まれている中で、叔父の後姿を見て育ったせいで実験動物福祉の重要性を小さい時から理解してくれたのが嬉しかった。

独身時代から、結婚して子供が生まれてからも、小生の息子を差別なく可愛いがってくれ、「ビンビン兄ちゃんに小さい時可愛いがってくれた恩返しやから」といつも言っていた。最近では彼の夢だった電気屋さんを独立開業し、自宅も新築して、小生も一人前になった甥の立派な姿に感動を覚えていたところだった。

それが、一本の訃報通知によって、すべてが思い出の彼方に去って行ってしまった。「仕事が忙しくなるので釣りもギターも弾く暇がないので、良かったら貰ってくれる?」と、お気に入りの竿とギターをくれたのはつい、最近のことである。その時はなにげなく貰ったが、まさか、この品が甥の形見になるとは思いもしなかった。

結果論だが、ローンも組まず自宅を建てたり、お得意先のエアコン設置を猛暑の中で走り回って、とどこおりなく済ませて、身の回りを整理しての死を迎えたとしか言いようのない行動だった。

仮通夜から告別式の三日間、不眠で彼の傍で付き添ったが、いつ見ても微笑んでいるその顔に「おい、エエ加減に起きて来いよ!」と何度も語りかけたが、返事はなかった。

合掌