17:  墓地へ

楽しいひとときを過し、いよいよアンの眠っている墓地に向かうことになりました。

家の前でずっと待っていてくれた運転手に、アンのお母さんは墓地までの道を説明し、4人が乗り込んだタクシーは目的地に向かいました。距離的にはそれほど離れてはいなかったのでしょう。ほんの僅かな時間で到着しました。

墓地ではアンの妹さんが私たちの来るのを待っていてくれました。

顔はアンにそっくりの美人!この近くに住んでいて、ずっとアンのお墓を守ってくれているそうです。挨拶を交わした後、墓碑まで案内していただくことにしました。

しかし、この時になって大変な忘れ物をしたことに気がつきました。

献花のための花輪です。

ホテルにいるときには忘れないようにと気をつけていたものの、あわてて車に乗ったものだからすっかり忘れていました。

お母さんと妹さんに謝りながら、アンの墓碑までやってきました。

墓碑は写真の通り可愛らしい大きさでした。その表面には、英語とともにカタカナで「アン・ロスと名前が刻まれていました。

私はしばらく立ちつくし、感慨深げに歩み寄りました。

感無量です。やっと長年の、お母さんとの約束が果たせました。

手を合わせながら、在りし日のアンを思いやりました。

自然に涙がこぼれ落ちてきました。

「ありがとう、ごめんなさい」の言葉しか出ませんでした。

長い間、日本人が訪れるのを待っていたことでしょう。

年間何万人もの日本人観光客や研究者が訪れていても、アンの墓碑への墓参は私が初めてでした。

犠牲になった多くのイヌ達のために、アンはどれだけ辛い思いをして看病に当たったのかを考えると、私にはお詫びするしかありませんでした。

彼女のためにもっと何か出来なかったのでしょうか?

もっときめ細かい相談が出来なかったことが悔やまれてなりません。このお墓に来るまで自問自答の毎日でした。残された私たちに、 アンは大きくて大切な課題を残して逝ったのだと思います。

今はただ、アンには安らかに眠っていただくことを祈るばかりです。

四歳の息子もはにかみながら一緒に並び、妻も一生懸命墓碑に向かって頭を垂れてくれました。

永年の夢であった墓参も無事に終わり、去りがたい気持ちを残して車に戻りました。

お母さんと妹さんのお二人を自宅にお送りしました。

いよいよお母さんの家を離れる時がきました。

「佐藤さん、また、是非いらしてください」

「お母さん、いつまでもお元気で!」

全員が涙を浮かべ、いつまでも別れを惜しみました。

国境を越え、言葉の障壁を越え、今この瞬間、魂が一つになったのを感じました。

車に乗り込んだ私たちに、ちぎれるように手を振ってくれたお二人の姿は今でも目に焼きついております。