同封されていた写真には、アンが友人の結婚式に出席した時のポートレートと、今彼女が眠っている墓碑が写っていました。
美しいドレスを身につけ、ニッコリ微笑んでいる写真のアンの姿を見て、私はアンのお母さんの気持ちを推し量りました。
イギリスの友人達は結婚して幸せな生活を送っているのに、アンは一人で遠い日本に行き、苦労したあげく、病気になって母国に戻ってきました。
自分から希望したとはいえ、言葉の通じない国で、無理をした活動のため体をこわしたことは、 本当に無念だったろうと思います。いくら、胸中に信念を抱いていたとはいえ・・・。
周囲に相談する相手もほとんどなく、どれだけ寂しい思いをしただろう。そういうお母さんの娘に寄せる気持ちは痛いほど伝わってくるのでした。
女性が単身で、実験動物福祉後進国の現場で仕事をすることの危険性は充分察知していたようです。彼女なりに相当な覚悟があったと親しい人から聞き及んでいました。
「佐藤さんが雑誌に書かれた訳文を読み、日本でもアンの事を理解する人が何人かいたことが唯一の救いです。 佐藤さんに感謝しております」との母親の言葉には、申し訳ないという気持ちを持つ一方、何故かほっとするものがありました。
文面の最後には、
「墓碑にはアンの名前をカタカナで刻んであります。もし、あなた方日本人が英国に来ることがあれば、一目ですぐにわかるようにしておきました」
と書かれてありました。
写真をよく見ると、 カタカナでアン・ロスと刻まれているのがハッキリとわかりました。
私は涙があふれてなりませんでした。
あのがんばり屋のアンが死んだ! あんなに動物の気持ちを理解することのできたアンが、 もうこの世にはいない! うそであって欲しい。
しかし英語で書かれたアンのお母さんの手紙は、読んで理解することが出来ないだけに、重い真実を語っているように感じました。
私はこの時決意しました。いつか必ずイギリスを訪問して、アンの墓参に行こうと。
そして、アンに出会えたことのお礼と、その後改善されてきた日本の動物実験の現状をお母さんに伝えよう、と。