13.「テレビ出演の功罪」

もう、十年程前になるが一度だけNHKのテレビ番組に出演したことがある。

実験動物倫理に関する番組で、現実に行われている動物実験の現場で働いている研究者や動物実験反対論者の方々から様々な意見を聞き、総合的な判断を国民に問うというような内容だった。

私はたまたま、技術者として白羽の矢が立って、直接、テレビ局に呼ばれ、お話をさせて頂いた。NHK側の意向で、当初は直接、大阪大学の私の部屋でカメラを回す予定だったので、出勤風景から大学の玄関に向かう私を追って多くのスタッフが待ち構えていたが、そのような光景は実験動物福祉とは何の関係もないので、全部、お断りして、最終的に局でカメラを回して頂いた。記者と事前の打ち合わせの後に色々な質問に答えたが結果的に私が言いたかったことは縮小割愛され、如何にも動物実験の現場で悲惨なことが展開されていることだけがピックアップされた内容であった。

「反対か賛成か」の二元的な意見を対立させた形で構成されたこの番組は大きな反響を呼び、私は多くの方からご意見を頂戴した。感謝や非難、「良く言ってくれた」、「立場をわきまえていない」などの意見が交錯する中、私は貝になった。アンに薫陶を受けた私にしてみればそのような二元的な対立よりも、現場で働いている技術者として、正直な気持ちを伝えたかったのだが、その思惑は見事にはずれた。

過去や未来のことよりも、現在進行中の論議で何が問題なのか?縦型社会の中で一技術者がこのような問題に対して意見を述べることはどれだけの勇気が必要なのか?ということは恐らく誰も理解出来ないだろう。結果論よりも問題点を把握して、自分の力量の範疇で小さな事から改善して行くことは簡単そうで、なかなか出来ないものである。つい、現状の大きな波に流され、自分と家族を守ろうと姑息的になり、天秤の真中で右往左往している人も多いのではないだろうか?実験動物の関係者の中でもそういった人は多いだろう。個人的にはこんなことをしても良いのだろうかと疑問を感じても上位の人には意見を言えなくて、仕方なく共同歩調を取ってしまう。それが社会の協調性だと勘違いしている方もいらっしゃる。研究成果は社会に還元されるべきだし、途中経過も報告する義務があるのは当たり前だし、まして、国民の税金で賄われている研究ならばなおさらである。

放映された番組を見ていて、本音が見えなかったのはとても残念であった。テレビ出演は私にとって多くの教訓を与えてくれたし、絶望も与えてくれた。