12.「長さんのこと」

動物愛護団体で「(社)日本動物福祉協会」という組織がある。この中で長年、理事を務めて来られ、日本の動物福祉に貢献された長さんが他界された。小生が所属する日本実験動物技術者協会の広報にも「動物保護制定史」を寄稿下さったり、総理府の動物保護審議会委員を歴任するなど、その影響力は大であった。

アンを大阪大学の動物福祉啓蒙活動によこした中心人物でもあった。

東大に最新の動物実験施設が完成した時も、長さんの要請で見学に行ったことがあったが、確か当時の理事長は中曽根康弘氏だったので、その影響力もあってフリーパスで施設内を見させて頂いた記憶がある。「いつか佐藤さんの大学もこのような立派な施設が出来ると良いね」と長さんが言ってくれたが、国立大学としては最後の動物実験施設が完成したのはこの後、ずっと後からであった。

今だから言えるが中曽根氏の秘書を努めていた九鬼さんという方に小生から直にお手紙を差し上げて大阪大学の現状を訴えたこともある。一技術者としてとんでもない暴挙に出たものだが、当時はそれほど大学の現状はお粗末だった。

ある日、英国の福祉協会会長のゲインさん一行が大阪大学の視察に来られた時があった。動物委員長から私の部屋に電話があり、病院長の部屋に行くと、長さんと相馬さんという理事も来られており、久し振りの再会に握手を交わしたが、その時にアンも同席してくれた。会話は全部英語なのでさっぱり判らなかったが、後で長さんが説明をしてくれ、如何にこの大学の実情が悪いか、また、福祉協会としても何らかの形で応援すると病院長と動物委員長に話をしたと教えてくれた。話し合いの後、私の案内で実験室や動物飼育室を見学して貰ったが、各大学を視察慣れしている一行は改善すべき点や場所を指摘してくれ、最後に「佐藤さん、大変でしょうけど頑張って下さい」と励まして頂いた。長さんからは「動物の管理に関する法律」の草稿を送って頂いたし、それに対するコメントも求められた。技術者としての考えから、その法律に対して、疑問を感じる部分に赤線を引き、送り返したが、現在、施行されている法律の一部にはその改善案が長さんの手によって成されている。

また、昭和55年には福祉協会の推薦で実験動物界から初めて私が動物愛護功労賞

を受賞したが、すべて、長さんが影で動いてくれた結果である。あと6年で私も定年を迎えるが、これまで色々な思いで勤務し、様々な人と出会った。残念なことに、アンの晩年は福祉協会と決してうまくいってなかったことも聞き及んでいるが、私にとって亡くなられたご両人は恩師であり、敬愛するべき人であることに変わりはない。