実験助手だった時代、屋上にある実験犬の飼育室から別棟の実験室に犬を移動している時であった。
患者さんが多くいる外来棟を通ってエレベーターに乗った際に突然、犬が鳴いた。一緒に乗っていた患者さんが私に質問した。「ここは獣医病院ですか?」「この犬はどこが病気なんですか?」私は答えに窮しながらも「これから実験するとは言えず、エエ、ちょっと調子が悪いのでこれから治療します」「そう、可哀想に、ワンちゃん、頑張ってね」という会話を交わした。れっきとした大学病院内で交わす言葉ではないが、咄嗟の質問にとまどい、本当のことが言えなかった。患者さんにすれば私は血だらけの白衣を着てるし、てっきり獣医だと思ったに違いない。毎日のように、数頭の犬を実験のために飼育室から連れて来て、研究者が来室する前に麻酔を打ち、移植実験の対象となる比較的健康な犬だけを2頭(ドナーとレシピエント)残し、残りの8頭は全部、輸血用の犬として全採血した。足の動脈を露出切開してチューブを入れ、最後の一滴まで搾り取るのだが、最初の頃は死んでいく犬に対して、そのたびに胸が痛んだが、同じような作業を数年間も続けていると感覚が麻痺し、ルーチンワークとして平気になった。まして、医者から「佐藤君の技術は誰にも真似が出来ない」などと、おだてられ、完全に有頂天になっていった。患者さんからの質問に対しても、素直に答えることが出来ず、如何にも自分が獣医になったような錯覚を起こしていた時代でもあり、今振り返れば顔から火の出るような思いになる。
生かす仕事ではなく、殺す仕事に従事していることが心の片隅にあるにも関わらず、平然と「治療です」と答えた、若かりし時代の苦い思い出である。