小生がこの世界に入って初めて研究発表を行ったのはまだ二十歳代の頃だった。
演題は「犬のミクロフィラリア」についてで、大阪府の野犬収容所から実験用として分与を受けた犬のミクロフィラリア感染の現状を知る為に行ったものだった。フィラリアの特性として、夜間に抹消血管中に存在しやすいことから、仕事を終えて夜の10時頃から検査を開始して、十数頭の犬の血液採取をした。採取したサンプルを遠心機にかけて、血球と混在しているミクロフィラリアを特殊な染色液で染めた後、顕微鏡で観察したら、びっくりするくらい多くの仔虫が確認出来た。当時は各大学の中央施設でも実験犬の検疫体制が確立されようとしている時代であったが、このフィラリア検査も重要な課題であった。特に、循環器系の実験では肺動脈に成虫が寄生しているような犬を使用すれば、成績に大きなばらつきが生じる可能性が大であった。大阪大学ではまだ、中央的な実験施設はなく、小生が管理している病院の研究者のみが使用する小さな実験室しかなかった。でも、将来、本学でも中央施設が完成した時に検疫体制が必要とされる時代が必ず来るだろうという事で、独学の検査診断を試みたのが初めての研究発表につながったのである。
この頃、日本には実験動物に関する学会という組織はなく、「実験動物研究会」と「日本実験動物技術者懇談会」のふたつのグループだけであった(注:1960年代後半)。小生はすでに両者の会員として登録していたが、最初の発表は技術者懇談会の総会で行った。会員になって間もない頃の発表とあって、緊張の連続であった。確か東大医科研の講堂であったと記憶しているが、持ち時間の8分間の長かったこと。足が震えて、何をしゃべったかも覚えていない始末で、参加者からの質問等も上の空で聞いていた。意地悪な質問がなかっただけが救いだったし、総会後の懇親会では大阪から始めての発表だったので、嬉しいと当時の役員の先生方に誉めて頂いたことだけがはっきりとした思い出として残っている。
普通、学会などに初めて発表する時は教室の教授や先輩が一緒に行って、質問等で困った時に助け舟を出してくれるものなのだが、如何せん、実験動物の関係者でこのような組織に入会していたのは阪大で小生以外誰もいなかったのが実情だった。
その後、何十年も経過して、自分自身が座長や役員をしたり、お世話をさせて頂く立場になっても、この日のことを思い出しながら、初めての発表者には特に思い入れを強くして、聞かせて頂いているが、最近の若い人は度胸が据わっているのか、小生のように足が震えてどうしようもないという方は少ない。
これも、時代の流れと言えよう。