02.「奇人、変人扱い」

 自宅からスノコや毛布を持って来て、術後犬に使用していた時の話である。周囲の冷たい視線はまるで、奇人か変人扱いのような目で見られた。

 今ではそのような処置を技術者がしてもおかしな目では見られないが、昔は冷暖房も無い実験室で研究していた人達にとっては奇異な行動であったのだろう。どうせ、短期の実験だし、いらぬおせっかいをして欲しくないというのが現状であった。

 床はタイル張りだし、術後の麻酔から覚めやらぬ犬は体温低下が著しく、これだけで回復せずに死亡することが稀でなかった。直腸温度を計測したことがあったが、麻酔処置だけでぐんぐんと体温が下がり、開腹したり、開胸するような手術を伴えば、元々体温の高い犬でも30度近くまで落ちてしまうのである。後にあるメーカーと共同開発で体温低下抑制のマットを作ったことがあったが、残念ながら、実験現場でそのようなものを使用する施設は少なく、殆ど売れなかった経験をしている。

 アンの影響を受けたある技術者も小生と同じような目に会い、精神的ダメージを受けた方もおられた。小生にとってはアンと同じく、師匠のような存在であったが、直接、その方の薫陶を受けに行った時も「私も最初は実験動物福祉なんか不必要だと思っていた時代があったよ。でも、アンに会ってから自分の考えが間違っていたことに気が付いた。でも、内部の人間がそれを実践することはどんなに辛い思いをしなければならないことか、いずれ君にもわかる」と、日頃からおっしゃっていた。

 ボーナスを全部使って施設内の犬舎を修理したり、術後犬の為に特別なエサを買って与えていたのも知ってるし、日本では唯一、アンの良き理解者でもあった。

 晩年は奥様とも離婚し、家族はバラバラになり、最終的に自らの命を絶ってしまったが、夏休みに師匠の自宅に行って奇人、変人同志が酒を酌み交わせて一晩中、語り明かしたのが今も忘れられない思い出として残っている。