犬と生活を共にする決意

施設にいた頃は、ケージの中が唯一の世界であった。

食事から排便、そして寝ることまでもその中でするため、ゆきにとって自分がいる場所が生活のすべてであった。

まわりに対して一切気兼ねする必要はなく、また、気兼ねという言葉すら知らない自分だけの世界であった。

犬が好きで、犬との関わりをより深く求めていた永池とゆきとの「溝」はあまりにも大きなものであった。

ゆきと接触していると、対等には付き合ってもらっていないのではないか、と永池は一瞬不安になる時がある。

このような育ちをした犬に、生活の基本を教え、犬らしい犬に育て上げていくことが出来るだろうか。

そして、ただそれだけにとどまらず、セラピードッグとしてのトレーニングを積み、必要とする社会福祉施設に送り出すことが自分には出来るのだろうか。

ふと自信をなくしてしまう永池であった。

「ゆきは、他の事に関心を持とうとしない。そういう性格の犬を訓練することは難しい」

最初に大学の施設で出会った時にそう感じた思いが、いま再び強く湧き出していた。

この犬を、セラピードッグに育てるのに、一体何が必要なのだろうと、途方に暮れてしまう。

まだ、ゆきは自分とは対等に付き合ってくれていないという思いが強くする。

時間をかけて、ゆきの世界を理解し、入りこんで行かなくてはダメだと冷静に感じ始めていた。

永池は、この犬と生活を共にすることを決意した。

生まれて以来、一人だけの狭い世界で生きてきたゆきにとって、この人は自分にはかけがえのない人なのだと認識させる必要があった。

他の人はともかく、この人だけは、この世で自分のことを真剣に考えているのだと気づかせる必要があった。

正直言って、少し不安がある。

しかし、持ち前の明るさで、精一杯前向きにゆきとの生活に取り組んでいこうと決意を新たにした。

ゆきとの真剣勝負がこれから始まるのだなと、心地よい緊張感に永池はとらわれていた。